純粋の声
宮城道雄
私が上野の音楽学校に奉職することになった時、色々話があるからというので、或る日学校に呼ばれて行ったことがある。いよいよ講師としての辞令を渡された時、乗杉校長が、この学校は官立であるから、官吏という立場において体面を汚さぬようなことは、どんなことをしてもよいが商事会社の重役になってはいけぬと言った。
私も長年弟子を教えてはいたが、学校の先生になったのは初めてなので、非常に珍しくまた嬉しい気持がした。第二に嬉しかったのは、鉄道の割引があるので、何だかむやみに嬉しくて、その当時は何処か旅行がしてみたくてたまらなかった。そのお蔭でそれ程用事もなかった所にも行ったりした。しかし最近は割引をして貰うのに、時間がとれて面倒に思うようになった。
或る日音楽学校で、私の作曲したものを箏曲科の学生に歌わせたことがあった。何れも女学校を卒業した者か、またはそれ位の年頃の者であったが、その声の良し悪しは別として、それが非常に純粋な響きで私の胸を打つものがあった。唄が朗詠風のものであったので、私は歌わせていながら、何だか自分が天国に行って、天女のコーラスを聴いているような、何ともいいがたい感じがした。私は或るレコードで、バッハのカンタータを聴いたことがあるが、そのカンタータのコーラスが、わざわざ少女を集めてコーリングしたので、曲もそうであるが、普通のコーラスとは別の感じがして、私はその演奏に打たれたことがあった。私はその時、これから少女たちの声を入れたものを作曲してみたいと思った。
音楽学校の講師になって間もなく、盲学校の方にも頼まれて、掛けもちで行くことになった。初めて盲学校の授業があるので、教官室で時間の来るのを待っていたら、どの先生も、どの先生も、とてつもないひどい足音をさせて歩いていた。テーブルの上のものはガラガラ音がするし、どうも大股でわざと音を立てているらしい。建物がしっかりしているらしいからよいようなものの、根太が抜けやしないだろうかと思われた。
私はどういう訳でこんなひどい音をさすのかと思ったが、それは生徒が盲人なので、大きな音をさせて歩けば、自然に生徒がよけて通る仕掛けになっていたのだそうである。或る先生の如きは腰に鈴をつけて、生徒がぶつからぬようにしていた。
それで生徒の方でも、いつの間にかその歩く足音で、あれは何先生だということを感別し
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮城 道雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング