段々こまかく点字の譜に、それを書きつけるのである。そうして、作曲する時に、山とか、月とか花とかを、子供の時に見たものを想像しながらまとめてゆくのである。
 こうしたわけで、作曲の際とか詩などを読むという場合には、四季のことが人よりも一層深く感ぜられるのである。そうして、私は世の中の音、朝の音、夜の音などを静かに聞いていると、いつかそれに自分の心が誘われて、遠い所へ行っているような気持になることがある。
 次に、同じ雨の音でも春雨と秋雨とでは、音の感じが全然違っている。風にそよぐ木の音でも、春の芽生えの時の音と、またずっと繁った夏の緑の時の音とは違うし、或は、秋も初秋の秋草などの茂っている時の音と、初冬になって、木の葉が固くなってしまった時の音とは、また自ら違うのである。それから、紅葉の色も、自分には直接見えないけれども、その側に行くと、自分には何となくその感じがする。
 私は或る時、音楽学校から岐阜へ演奏旅行に行ったことがある。その時は、昼と夜と二度演奏をしたのであるが、昼の演奏を済ませてから、知事さんの招待で長良ホテルという所に行った。そして、私の傍に居合わせた者が皆、景色がよいとい
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