て、出稽古から帰るとかせぎためた何がしかを早速、父に送ったこともあった。こんなことを書いているとはてしもないが、私は箏を習い始めてからは、つらさも、悲しさも、うれしさも、いずれの時も箏と二人づれであった。箏に向えば希望が湧いて、いかなる心の苦難も解決出来るような気がした。それは箏と永年、苦楽を共にして来た今でも同じ気持である。
私が、兵庫の中島※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]※[#「てへん+皎のつくり」、第4水準2−13−7]に入門した時は、奥さんが私を抱きかかえるようにして玄関へあげてくれた。そこはお寺の玄関のようであった。普通は横の入口から入るのであるが、その日は特に大門を明けて迎えてくれたらしい。手ほどきをして貰った二代目中島※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]※[#「てへん+皎のつくり」、第4水準2−13−7]は老先生であった。私はまだ物を見るくせがあったので、かえって糸間違いをしておぼえが悪かった。おばあさんが心配してものになるでしょうかと先生にたずねると、この子は、声が糸にのるから大丈夫と言われたが、もっとも声がのらなかったら音痴である。それから、
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