た感興を覚えるか知れない。私たちがどんなに努力しても、あの一つにも勝れたものは出来ないであろう。

    音に生きる

 私は子供の時には非常に負嫌いで、喧嘩しても議論しても負けるのが何より厭だった。それがこうして音の世界に生きるようになってからは、不思議に気持が落著いて来て、負嫌いどころか負けることが好きなくらいになった。大概のことは人に勝たしてあげたいと思うのである。
 時にはそれを卑怯のようにも思うけれども、決して人と争わぬ。人の意見に反対しない。若い頃には直ぐ怒ったものであるが、この頃はどうしたものか、腹が立たなくなった。時に、弟子に対して怒ったふりをすることはあるが、心から怒るということはない。
 芸に就いても、かつては他流の人とでも弾く時には、何か一種の競争意識というか、戦闘気分といったようなものに支配されたものであるが、今日はそうでない。誰とやっても静かな気持である。先ず人を立ててその中に自分自らも生きようと希う気持だけである。
 私が一番苦々しく思うことは、相手の人によって言動に階級をつけることである。人間はどうしてああいうことをせねば気がすまぬのか。それは偉い人には敬意を表さねばならぬのは勿論だが、目下の者だから、貧しい者だからといって何故威張らねばならぬのか。私にはそういう気持がわからない。それでよく弟子達に、「先生は誰にでも頭を下げるから威厳がない」と叱られたりするが、しかし私は自分の値打を自分で拵えて人に見せようというような気持にはなれない。
 これは何も私が修養が出来ているかのように仄かすのではない。およそ音の世界に生きる者のすべてが自然に持つ、一つの悟りとでもいうべき心境であろう。有難いと思う。私はいま別に信仰というものはないが、強いていえば、私にとって音楽は一つの宗教である。



底本:「心の調べ」河出書房新社
   2006(平成18)年8月30日初版発行
初出:「夢乃姿」那珂書店
   1941(昭和31)年11月22日
入力:貝波明美
校正:noriko saito
2007年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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