レコード夜話
宮城道雄
メニューヒンの演奏会を日比谷の公会堂へ聴きに行って、あとで楽屋へ挨拶に行くと、握手をしながら how do you do と言われた。その声が高い若々しい調子に聞こえた。帰ろうとすると、もう一度握手されたので私は嬉しかった。
そのせいか、氏のレコードが集めたくなって、いろいろ買い求めた。そして、氏の写真のついたアルバムへ手さぐりで一枚ずつレコードをはめていった。
幸いのことに、つい先日ビクターから勤続二十五年以上の御褒美に小型電気蓄音機を貰ったので、それで聴いて楽しんでいる。
私はレコードを一人で静かに聴くのが好きで、人の寝しずまった夜中などに鳴らすことがよくある。電気蓄音機は調節が出来てよいが、手捲の蓄音機でオーケストラなどを鳴らすと、辺りへひびきわたるので風呂敷をかけたり、蒲団をかぶせたりして音を弱くして聴くのである。
ある夜、私は変奏曲を作ってみたいと思っていたので、参考に聴きたいと思ってレコードをいろいろ探した。私にわかるように点字で書いてあるのもあるがそうでないのが多いので、そういうのはレコードやアルバムの手ざわりや、形などで探りあてたり、また、置場所などにも心覚えがある。それでやっと探り出したのは、ベートーヴェンのワルツによる三十三の変奏曲であった。ピアノはフイッシャーの演奏であったが、それを電気蓄音機で弱くして聴いた。ところが私の思惑とは違った。
私は形式などを参考にしたいと思っていたが、それよりも変奏の変る毎に私に感じるのはベートーヴェンの何か心理というようなものであった。
私は寝床のすぐ側へ蓄音機をおいて、寝ながら聴いていて、レコードを裏返す時にはそのまま手を延ばし、一枚済むと上半身を起してかけ変える。誠に無性なようであるが、こう横になって聴いていると、一層深く味わうことが出来る。
次第に変わって行く和声的な最低音や、最高音、それに何かを暗示するように続いて聞こえるある低音などが、しんとした真夜中と一体になったように私に感じられて、何か深い人生までが思い浮かんでくるのであった。そしてレコードを七枚聴き終った時はもう夜明近くであった。この名曲もさることながら、私は理解の深いフイッシャーの演奏ぶりに、今更のように敬服の念が湧いてきたのであった。
私はずっと以前に、ハイフェッツの古い吹込らしかったが「妖精の踊」
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