競馬興行と競馬狂の話
初代 桂小南
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)オ[#「オ」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぶら/\
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スピードの世の中であります。此意味に於て、競馬は最も今日高速度的世相の推移を如実に表示するものであらうかと思はれます。私が年末、大の競馬狂として之に没頭しますのも、さうした点に興味を持つからでありますが、執着の結果は春秋の競馬シーズンを待ち兼ねてどうか是が同一の興趣と実感とを室内に於て味ふ工夫もがなと、好きには身を窶すで、日夜専心専一苦心を致しました。所が思ふ念力岩をも通す譬にて、私の顔よりも馬の顔よりももつと長い間の苦心が首尾好く今日に酬ひられまして、漸く斯の如き室内競馬と銘売つたる高級遊戯セツトの発明に成功しまして、只今新案特許も出願中でございます。此セツトは普通の競馬組織を双手で提げ得るだけの小函の中に圧搾したものでありまして、僅か五六米の長さの御座敷ならば自由にゲーム・レースは出来るのであります。而も模型の馬匹と騎手がスタートを切つて、凡そ一分内外に決勝点に入る迄一弛一張、其何れが先着を占むるかを予断し兼ねる所に、実際のレースと少しも変らぬ所の感興が湧くのであります。尚ほ、それのみならず、一定の動力を以てして各馬匹に一定の速度を与へ、レース毎に勝馬の見込みを異にするやうに装置しましたのも、特別の入念を要した点であります。されば各御家庭は勿論、クラブ、ホテル、集会場、カフエ等々に御備附して、春の朝の悦楽にも秋の夕の清娯にも、どれほど似附かはしいか知れませぬ。或は遠洋近海航行の汽船内にありましては、御船客の新しい娯楽として到底デツキ、ゴルフなどの比ではなからうかと存じます。どうか私の此図体相応の大きな苦心と、量見相応の小さな発明とに御声援を願ひます。
私が大阪から東京へ来たのが明治三十八年でした。其当座競馬の馬券は一枚十円で、穴が出れば今のやうな十倍の制限でなく幾らでも取り次第と云ふ遣りやうでありました。私が初めて競馬に行つたのは横浜の新富亭と云ふ寄席の主任をやつて居つて、根岸に競馬があると聞いて、丸切り分らぬのにぶら/\と行つて、行成、驚いたのが入場料五円で一寸辟易したが仕方がないので奮発して這入つた。さあ皆、馬券を買ふてどれだけ取られたと騒いで居るが一向勝手が分らぬ、それから出鱈目に殆ど見徳のやうな工合に馬券を買ふて見た。一向に当らぬ、何でも八競馬か九競馬目位に矢張り見徳で買ふた馬、確か番号は五やつたと思ふ。見事に端の切つ放しで第一着に這入つて呉れた、是が私の競馬に這入り始めで成程面白いと云ふ事を感じた。さあ少なくも十円が五六十円若くは百円位になつたであらうと喜んで、払戻口へ行くと、十円五十銭の札が掛つて、詰り五十銭より儲けがなかった。結局其日は百円ばかり損して帰つた。それが病附で、其明くる日には連中一同計つて新富亭の木戸上り五十円で天切をして、是で馬券を買ふ事に協議の結果定まつて、で共同金の五十円を以て矢張殆ど見徳のやうな工合で順々に五枚買ふた。其中で三つ当つて五十円の金が二百何某になつた。それをば詰り木戸上りに代へて割に割つたら、今迄寄席で出た事のない席の割が取れたこともありました。其五十円を丸損したら客が来なかったものとし、勝つたら客が其金高だけ寄席に来たものとして、取つて割りました。中々其経緯は面白かつたものです。
それから東京へ戻つても其当時は松戸、板橋、川崎と一日も欠かさず走り歩いて見て居つた。其当時役者で好きなのは矢張今の歌右衛門さんであつた。私は競馬の一番嬉しい勝ちやうをしたのは板橋の競馬であつた、第十一競馬が新馬競走で之を見て居ると、席に遅うなるので諦めて帰り掛ると扇を拾つた。そこから又見徳と云ふ心を出して扇を拾つたからオ[#「オ」に傍点]の附く馬を買はうと出馬の名前を見ると、大山と云ふ馬が出た。何心なく扇を拡げて見たら大山大将の写真が這入つて居つた。此時はもう買はぬ内から取れたやうな気持がした、で大枚二枚を買ふて見た。すると端を切つ放しで物の見事に一着を取つた。配当は六百何某であつたよつて二枚買ふて、千二百何某の金を取つて、あゝ大威張で五人乗りの車に乗つて宅へ帰つたことがある。
それから間もなく馬券と云ふものが廃止になつた。よつて暫くは無沙汰して居つた、すると公認競馬で、馬券でなく商品券と云ふ塩梅にして十円の入場料で、二円券を五枚づつ呉れることになつたので、それで又夢中になつて行つて居つた其頃には取敢ず御客も今のやうに這入つて居らぬので、競馬場も閑静なものであつたが、何時しか又馬券が復活すると云ふ噂が立つと同時に、追々と又競馬が盛になつて来た。震災後兪々馬券一枚二十円と云ふ規則が出来て、十二月に目黒で皮切をした。此当時は大抵の観客は夢中で行つて居つたが、私は景品券時分から行つて居つたので、馬の調子を能く知つて居つて、勝たぬならば馬を買ふても詰らぬと思ふたが、百二三十円、若くは二百円の大穴が出るやうな皆の買ひやうであつた。所が此頃は皆が上手になつて来て、中々さう云ふ巧いことはない。勝つべき馬を買ふと殆ど配当があるかないか位の始末で、茲二、三年は大分に損をしましたが、尤も競馬と云ふものは決して儲かるものではない。能く皆さんが、君競馬に行つて儲かるかいと云はれると、むつとする。成たけ損を少なく遊ぶ場所として今以て欠かさず競馬は見に行つて居るが、どうも一年に春秋と二回の競馬では待遠しいもので、全くいら/\して競馬の夢を見たり、ブラつと何気なく競馬場へ出かけたり、全く以て気違ひじみた自分を見出す事もありました。そこで研究の結果が前述の玩具で、つまり狂の副産物です。
私が高座で枕に振つて居る役者の競馬についても、此頃は役者も盛に、競馬を見に来始めて、もう歌右衛門さんなんか古顔で、役者と云ふてもあの年だから色つぽくも何ともないが、其息子の福助を始終連れて行く、さうなるとあの大勢の婦人連中が誰も彼も福助の方へ目を遣つて、どうかするとどの馬が勝つたか知らぬ婦人連もある。で気に付いたことは競場の馬券を売る女事務員が、大抵皆年十六七から二十四五止まりで、十人並の婦人を揃へてある。矢張総てが女子の世の中と見えて婆が馬券を売つては買ふ御客が気持が悪い。十六七から二十七八止りで、一寸した女に馬券を売つて貰ふと気持ちが好い。況して馬券を買ひに行くと皆さん御承知であらうが、穴場へ二十円突込むと混雑せぬやうに、其女事務員が此方の手をば暫時握つて呉れる。二十円を取つて馬券を握らして返して呉れる。此僅か五秒か六秒の間であるが、二十搦みの美人に一寸温い手で握つて貰つて居る間の気持は、場合に依ると馬なんか負けても構はぬと云ふ気になつてしまふ、是は私丈のことでない。一般皆さんがさうらしい、所がそこでがらりと様子が変るのは役者が馬券を買ひに行つた場合、女事務員の方が役者の手を握ることを大変嬉しく待つて居る。よつて福助が馬券所へ這入つて行くと、どの事務員もどの事務員も網窓の上から、福助が此方に買ひに来れば宜いがと、外の御客が手を突つ込んだつて打捨つて置いて、福助の方ばかり見て居る。是は二年前の目黒の競馬であつたが、丁度私の買はうと思つて居る馬を、福助君も買ひに来て居つて、私の隣の窓から今や手を突込まうとして居つた。其時に上から女事務員の顔を見ると、あゝ大穴でも取つたやうなにこ/\顔して、福助の手が握れるとむづ/\して居つた。其時癪に障つたので、私の手を横合からにゆつと突込んだ、所が事務員は其前に福助が居るから其手を福助と思つたものか、さあ握つたが、何処ともなく力が這入つてぐつと握り締めた。四秒か五秒かで済むものが、其時は十二三秒も掛つたでせう。私も度々馬券売に手は握られたけれども、あの時ほど心持好う力の這入つた握り様をして貰つたのは初めてゞ嬉しい感じがしたが、熟々考へて見ると、之を私の手と思つて握つて呉れて居るならば有難いが、其前に居る福助君の手と思つて握つて居るから余り有難い気持がせぬ。愈々手を抜きしなに、上から首を出して事務員に云ふてやりました。君福助君の手だと思ふて嬉しさうに暫く握つて居つたが、実は横合いから手を突込んだ、僕の手だつだよと云つたら、アラツ! 生け好かない落語家の手だつたわ、とこんなことを云ひましたが、全く同じ芸人の手も役者の手は徳なものである。
乗合で馬券を買ひました。是は横浜で或人が君十円乗らぬかと云ふので進めに来て呉れた。顔を知らぬ人であつたけれども、宜しいと云ふて乗りました。其馬が勝つて配当が百五十円、あゝ有難い、思ひも寄らぬ馬を半分乗せに来て呉れて七十五円儲かつたと思ふたが、何時迄待つても其人が持つて来て呉れぬ。是は能くある奴で、時折当ると其金を取つて乗つた人を誤魔化して、逃げてしまふ場合があります。私も其手に引掛つて居たのであらうと探し草疲れて諦めて帰りました。其時私の切席が十番の福槌亭でした。福槌の切席に上つて閉ねて帰らうとすると、木戸から帰り掛けて居る御客が、私を待つて居つて今日二人で買うた奴が当つたから、金を持つて探し廻つたが、どうしても馬券場で見当らなかつたので、此処迄持つて来てやつたと云ふ、七十五円呉れゝば宜いものを、五朱に追付けると云ふので八十円貰うてこんな嬉しいこともありました。そこで斯云ふのは矢張芸人の得と云ふのでございませう。
競場の歴史なんか調べて居る競馬狂は先づありませぬ。さう云ふ暇があればどの馬が勝つかを研究する、それに競馬で勝つた者は、外のものと違つて、勝つたことを利巧さうに云ふ。色々批評して、此馬は斯云ふ癖がある。是は斯云ふ所で勝つ、あんな馬でどうして勝てるものか、是は斯して斯うと、それなのに外の馬を買ふ奴は馬鹿だと云ふて豪がつて居りますけどもね。又夫婦連れなどで来て、俺が何番を買へと云ふのに貴様が愚図々々云ふから、それ見ろこんな大きな穴が出来たぢやないかと争つて居るのもあります。
私は競馬となると気違ひ染みて、それでも商売は一遍も休みませぬけれども、殆ど馬のことばかりを云ふて居るでせう。皆が気違々々と云ふのです、それで皆に、味を知らんでそんなことを云ふけれども、競馬に一度行つて見よ、自分の買つて居る馬が二番目か三番目に附いて、どんどん走つて行つて、愈々決勝百米からじり/\それが向ふへ出て来て、決勝近くになつてそれが端を切り出した時の心持と云ふものは、他で味ふことの出来ぬ愉快がある。だから競馬に行つて居る者は半分気違だよと云つても、根つから皆が其気にならぬのでせう。
それから落語家として是だけ流行して居る競馬を知らぬのは見理ない。芸術の修養として見に行つて価値があるだらう。何も競馬をやりに行くのでない、自分の稼業の一つとしてあれだけの盛な競馬は、成程競馬と云ふものは皆が気違になるものだ。色々階級など豪い人も居れば、其日に困つて居る人でも、矢張行つて居るのですから、さう云ふ所を研究して来るのには、沢山商売上の価値があるよと勧めたものですから、一遍見やうかと云つてちらほら来る。来れば只見て居られぬ、一寸馬券を買ふ負ければ口惜しいから又買ふ、其中に取る、取つた時の味が今云ふ通り何とも譬へやうがない愉快な所があるから、つい又買ふ。其日帰つて来ても明くる日あると思ふと、明けると凝つとして居られませんで出掛けて行く、それで今の所では連中内で二十人位でせうね。大分夢中になりました。
配当は公認競馬は一割五分天引き、詰り競馬場の手数として取るのです。後に残った八割五分を買つた馬の馬券数に割つて払戻と云ふことになる。で無論勝馬の投票が少なくて、二百円越せばあとはクラブの収得となつて居ます。草競馬は天引二割です。
それから面白いのは雨の降つた日です。歯の附いた履物を履かしません。いや歯の物は雨が降つても降らぬでもさうです。よつて雨が降ると靴より仕方がない、さうすると長靴履いて、それが妙齢の婦人ですわね、而も一流の……
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