た。震災後兪々馬券一枚二十円と云ふ規則が出来て、十二月に目黒で皮切をした。此当時は大抵の観客は夢中で行つて居つたが、私は景品券時分から行つて居つたので、馬の調子を能く知つて居つて、勝たぬならば馬を買ふても詰らぬと思ふたが、百二三十円、若くは二百円の大穴が出るやうな皆の買ひやうであつた。所が此頃は皆が上手になつて来て、中々さう云ふ巧いことはない。勝つべき馬を買ふと殆ど配当があるかないか位の始末で、茲二、三年は大分に損をしましたが、尤も競馬と云ふものは決して儲かるものではない。能く皆さんが、君競馬に行つて儲かるかいと云はれると、むつとする。成たけ損を少なく遊ぶ場所として今以て欠かさず競馬は見に行つて居るが、どうも一年に春秋と二回の競馬では待遠しいもので、全くいら/\して競馬の夢を見たり、ブラつと何気なく競馬場へ出かけたり、全く以て気違ひじみた自分を見出す事もありました。そこで研究の結果が前述の玩具で、つまり狂の副産物です。
私が高座で枕に振つて居る役者の競馬についても、此頃は役者も盛に、競馬を見に来始めて、もう歌右衛門さんなんか古顔で、役者と云ふてもあの年だから色つぽくも何ともないが、其
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