公認競馬では八百長ではない。馬の調子で分つてしまふ、それはあの馬に誰か乗つて斯だからどうだとか、あの馬は、三日前から物を食はぬので幾らか体が悪い。さうすると斯云ふ奴が出るかも知れぬぞと云ふのを探し出すのです。ですが速歩と障碍は私は、どうも時折八百長があるやうに思ふのです。詰り八百長がし易いのです。今日は誰某に花を持たしてやらうと騎手同志で義理の立て合をする、駈足ではさう云ふ工合にしやうと思つてもいきませぬ。馬が調子づいて居る、障碍は其前で一寸注意すれば遅れます。
 次にクラブの方では、全然興行と云ふ意味は微塵もないのです。
 まあクラブの言草は百円や二百円負けて、くよ/\云ふ人が来るところではない。此方は高等遊戯場だ、一日に二百円や三百円づつ負けても差支ない身分の人が遊びに来る所で此処に来て儲けて帰らうなんと云ふのは図々しいと云ふ。一年中大きな馬場を遊ばして置いて、手入して置いて、何万円と云ふ馬が十頭も二十頭も飛出してやる。其中から儲けて帰らうと云ふのは無理だ。理窟は之になつてしまふ。
 興行と云ふ意味は丸でありませぬ。併し草競馬は興行式にやります。何でも構はぬ、馬券を余計売つてやる。
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