た。震災後兪々馬券一枚二十円と云ふ規則が出来て、十二月に目黒で皮切をした。此当時は大抵の観客は夢中で行つて居つたが、私は景品券時分から行つて居つたので、馬の調子を能く知つて居つて、勝たぬならば馬を買ふても詰らぬと思ふたが、百二三十円、若くは二百円の大穴が出るやうな皆の買ひやうであつた。所が此頃は皆が上手になつて来て、中々さう云ふ巧いことはない。勝つべき馬を買ふと殆ど配当があるかないか位の始末で、茲二、三年は大分に損をしましたが、尤も競馬と云ふものは決して儲かるものではない。能く皆さんが、君競馬に行つて儲かるかいと云はれると、むつとする。成たけ損を少なく遊ぶ場所として今以て欠かさず競馬は見に行つて居るが、どうも一年に春秋と二回の競馬では待遠しいもので、全くいら/\して競馬の夢を見たり、ブラつと何気なく競馬場へ出かけたり、全く以て気違ひじみた自分を見出す事もありました。そこで研究の結果が前述の玩具で、つまり狂の副産物です。
 私が高座で枕に振つて居る役者の競馬についても、此頃は役者も盛に、競馬を見に来始めて、もう歌右衛門さんなんか古顔で、役者と云ふてもあの年だから色つぽくも何ともないが、其息子の福助を始終連れて行く、さうなるとあの大勢の婦人連中が誰も彼も福助の方へ目を遣つて、どうかするとどの馬が勝つたか知らぬ婦人連もある。で気に付いたことは競場の馬券を売る女事務員が、大抵皆年十六七から二十四五止まりで、十人並の婦人を揃へてある。矢張総てが女子の世の中と見えて婆が馬券を売つては買ふ御客が気持が悪い。十六七から二十七八止りで、一寸した女に馬券を売つて貰ふと気持ちが好い。況して馬券を買ひに行くと皆さん御承知であらうが、穴場へ二十円突込むと混雑せぬやうに、其女事務員が此方の手をば暫時握つて呉れる。二十円を取つて馬券を握らして返して呉れる。此僅か五秒か六秒の間であるが、二十搦みの美人に一寸温い手で握つて貰つて居る間の気持は、場合に依ると馬なんか負けても構はぬと云ふ気になつてしまふ、是は私丈のことでない。一般皆さんがさうらしい、所がそこでがらりと様子が変るのは役者が馬券を買ひに行つた場合、女事務員の方が役者の手を握ることを大変嬉しく待つて居る。よつて福助が馬券所へ這入つて行くと、どの事務員もどの事務員も網窓の上から、福助が此方に買ひに来れば宜いがと、外の御客が手を突つ込んだつて打捨つて置いて、福助の方ばかり見て居る。是は二年前の目黒の競馬であつたが、丁度私の買はうと思つて居る馬を、福助君も買ひに来て居つて、私の隣の窓から今や手を突込まうとして居つた。其時に上から女事務員の顔を見ると、あゝ大穴でも取つたやうなにこ/\顔して、福助の手が握れるとむづ/\して居つた。其時癪に障つたので、私の手を横合からにゆつと突込んだ、所が事務員は其前に福助が居るから其手を福助と思つたものか、さあ握つたが、何処ともなく力が這入つてぐつと握り締めた。四秒か五秒かで済むものが、其時は十二三秒も掛つたでせう。私も度々馬券売に手は握られたけれども、あの時ほど心持好う力の這入つた握り様をして貰つたのは初めてゞ嬉しい感じがしたが、熟々考へて見ると、之を私の手と思つて握つて呉れて居るならば有難いが、其前に居る福助君の手と思つて握つて居るから余り有難い気持がせぬ。愈々手を抜きしなに、上から首を出して事務員に云ふてやりました。君福助君の手だと思ふて嬉しさうに暫く握つて居つたが、実は横合いから手を突込んだ、僕の手だつだよと云つたら、アラツ! 生け好かない落語家の手だつたわ、とこんなことを云ひましたが、全く同じ芸人の手も役者の手は徳なものである。
 乗合で馬券を買ひました。是は横浜で或人が君十円乗らぬかと云ふので進めに来て呉れた。顔を知らぬ人であつたけれども、宜しいと云ふて乗りました。其馬が勝つて配当が百五十円、あゝ有難い、思ひも寄らぬ馬を半分乗せに来て呉れて七十五円儲かつたと思ふたが、何時迄待つても其人が持つて来て呉れぬ。是は能くある奴で、時折当ると其金を取つて乗つた人を誤魔化して、逃げてしまふ場合があります。私も其手に引掛つて居たのであらうと探し草疲れて諦めて帰りました。其時私の切席が十番の福槌亭でした。福槌の切席に上つて閉ねて帰らうとすると、木戸から帰り掛けて居る御客が、私を待つて居つて今日二人で買うた奴が当つたから、金を持つて探し廻つたが、どうしても馬券場で見当らなかつたので、此処迄持つて来てやつたと云ふ、七十五円呉れゝば宜いものを、五朱に追付けると云ふので八十円貰うてこんな嬉しいこともありました。そこで斯云ふのは矢張芸人の得と云ふのでございませう。
 競場の歴史なんか調べて居る競馬狂は先づありませぬ。さう云ふ暇があればどの馬が勝つかを研究する、それに競馬で勝つた者は、外のものと
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