、主として暴力的手段でそれを維持しなければならぬ。これは、印度がこの主義の明白な表示によつてそれを實證するのでなければ、チヤーチル氏はその可能を信ずることが出來ない。かかる表示は、非暴力が社會に浸潤して、團結的生活(政治上の)をなす人々が非暴力と感應するにあらずんば、換言すれば、現在の武官のやうに文官が優勢となるにあらずんば、不可能である。
 故に、非暴力的手段によるスワラジは混沌や無政府の介在を意味しない。非暴力による自治は進歩的な平和革命で、限られた團體から人民の代表者への權力の推移が、恰度よく發育した樹木から十分に成熟した果實が落ちるやうに自然でなければならぬ。私は更に云ふが、かかる事はその達成が全く不可能であるかも知れない。しかし、私は非暴力の意味するところは、何ものにも優つてゐることを知つてゐる。そして若し、現在の運動者がかかる比較的な非暴力の雰圍氣を作ることに成功する可能を信じないならば、彼等はその非暴力の綱領を棄てて、性質の全然異つた他の綱領を立つべきである。若し吾々が、結局吾々は武力によつて英國から權力をもぎ取ることになるだらうといふ考を心に保留して吾々の綱領に近づくな
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