に怖しいものであると思う程の盆栽となったのである。
 食事をした場所から先きは、水のある谷を伝うて遡《さかのぼ》って行くのであって、別段道という道は更にない、谷の両岸はいずれも雑木やら笹原やらで、谷の中にある石は重に丸味勝の石であったように覚えている、進むに従って谷は漸く窮まって、水も次第に少なくなる、その辺からして谷を捨てて、右の方へ横に這入《はい》ったが、傾斜がますます急で殊に笹が密生して登るのには非常に困難を感じた、この辺でザゼンソウを採集したと思う、笹原の急な傾斜も終には尽きて、低いエゾノタケカンバあるいはその他の樹の、ハイマツに混じて生えているところに出たが、いずれも高くないだけに、ある時には跨《また》ぐことも出来るが、またある時には腰を屈めて潜らなければならぬという有様で、随分登る時には楽でない道筋であった、この辺一体のハイマツは、山火に焼けたのであるか、枝が枯れて白く曝《さら》されたようになって、それも山上に登ってから眺めるというと、殆んど雪でも積っているかと思うほどに白く見えるところが、随分と広いのである、困難に困難を重ねて、一行は殆んど弱り切ってしまった頃に、漸く道路らしいものに出ることが出来たが、これが鴛泊の町から、利尻山に登る本道であるとのことである、道路といってももとより山道であるからして、至って小さい上にまた勾配も急である。
 この辺には、イワツツジが沢山に生えていた、勿論花は既に稀であったが、このイワツツジの果実は赤い色のもので、食うことも出来るしまた芳わしい香があるのである、それから花はないが、この辺には既にキバナノシャクナゲも沢山自生していた、その外にはエゾフスマなどが生じておったと思う、この辺から先きは殆んど峰伝いに頂上に向って進むという有様である、此処《ここ》が恐らく薬師山と称せられる峰であるだろうと思う、もしそうであるとすれば、標高四千尺位の所に一同は既に達しているのである、それから数町の間は峰伝いとは言いながら、たるみがあるので、この辺から前面を望めば頂上も格別遠くなく仰ぐことが出来るけれども、この日はミズゴケ採集のため迂廻《うかい》して少なからぬ時間を費したので、頂上まで登って充分の採集をして、鴛泊まで帰着するということは、よほど困難に思われて来たけれども、この辺からして思い思いに採集しつつ進むので、あるいは遅れた者もあるし、あるいはズット先に駈抜けているものもあるし、中々相談をして下山のことを何《いず》れにか決定するということが出来ないのである、段々たるみのところを進んで行く内に、風は次第に強くなるし、時刻も段々移って来たので、何とか話を極《き》めねばなるまいと思っている時、子爵は率先してよほど登られたようであったが、この時とうとう引返して来られたし、木下氏も丁度あまり遠からぬ所におられたので、一同相談を始めた、その相談の結果は、子爵だけは老体のことでもあるし、勿論露営の準備等もないのである上に第一食物の用意がないので、終に人足の大部分を率いて下山せらるることになった、山に残るものは、人足が二人それに木下君と自分と都合四人である、ところがこの四人も勿論食事の用意は更にないのであるからして、下山した人足の内で、直に食物と露営の防寒具等を携えて、再び登り来るように命じて殆んど日没に間近きころ、余らは加藤子爵の一行と袂《たもと》を分つことになった。
 前にも言った通り山上に一泊の予定でなかったから、何らの用意もないので、どうして一夜を明したら宜しいかと一同殆ど当惑したが、第一に水を得なければ困るのであるから、その辺を捜して見たところが、左の方に草を分けて一町ほど下れば、其所《そこ》に水もある、また水の辺に小さな小屋があったらしい跡がある、これが今から考えて見ると、川上君などがこの山に籠った処であろうと思う、それから先ず木下君と余は共に夏服であるからして、たださえ夜になれば冷気を感ずる位であるから、この高山の上ではますます寒気が強く堪えられないのは勿論である、従って充分に火を焚《た》いて暖を取ることが肝要であるから、人足に命じてかなり多くの燃料を集めさせた、またその次には小屋という小屋は無論ないから、何とかして自分ら二人の身体を入れるだけのものを拵《こしら》えたいと思ったが、それも思うようには出来ないので、止《やむ》を得ないから、この辺の雑木はつまり、エゾノタケカンバとミヤマハンノキと中に少しずつ、ハイマツも混じっているが、高サが三、四尺位しかないのであるから、それを二人の身体が半分位ずつ入れられるほど結び合せて、その下に木下君と共に腰から上だけを入れるように拵え上げたのである。
 この晩は幸にして晴天で、雨の心配はなかったが、風は中々強いので、寒気は膚を徹するというほどであった、実はこの山上から鴛泊の町まで格別の遠サでもないと思ったから、加藤子爵と共に下山した人足が、直ぐに食物と防寒具を持って登ったならば、遅くも九時か十時頃までには来てくれるだろうと思っておった、ところが、十時が十一時になっても誰も登って来るものがない、食物さえも殆ど用意がないので、加藤子爵その他の人の残したのを僅に食した位で、ますます寒気を感ずることが強いので、止を得ずただ無暗と樹の枝を焚いて身体を暖めることになった、後に鴛泊に降って聞けば、我々の焚火が町からもよく見えたので、知らぬ人は不思議に思っていたとのことであった。
 充分に眠ることも出来なかったが、先ず無事十一日の朝となった所が、夜が明けても人足は一向に登って来ない、そこで差当り困るのは最早食物は少しもないのである、詮方なく遠くにも行かれず、ただこの附近の植物の採集を始めた、この朝採ったものは、ジンヨウスイバ、キクバクワガタ、イワレンゲソウ、リシリトリカブト、ゴヨウイチゴ、イワオトギリ、シシウドなどが重なるものであった、とかくする内に午前十時頃となって、漸く町に下った人足らが登って来て、朝の食事をすることが出来た、人足らは宿に着いて直に踏出したそうであるが、何分にも深夜になって登ることが出来ないので、遂に途中に一泊したとのことであった、加藤子爵も昨夜下山の途に就かれたが、途中ネマガリダケやらミヤコザサやら道に横わっていて、ますます足場が悪くなり、非常に疲労せられたので、鴛泊に帰着されたのは、十二時過る頃であったとのことである、それを考えて見ると、山上に露営した方が、あるいは楽であったかも知れない、十一日の日には木下君は、充分の採集をしたからといって、終に人足と共に下山せられるとの事であるが、余は何分にもまだこの山を捨てて去ることが出来ないので、終に一人踏止まって、なお一夜を明かすことに決心した。
 峰に向って進んで行けば、砂礫の地に達するのであるが、この辺には樹は殆んどないといっても宜しい、もっとも夥《おびただ》しく生えているのが、チシマヒナゲシである、その株のもっとも大なのは直径が五寸ほどもあるかと思う、しかしこの辺には、他の草はあまり多くない方であって、チシマヒナゲシもまたこの土地を除いて外の部分には、殆んど見当らなかったのである、ヤマハナソウ、シコタンソウ、シコタンハコベ、エゾコザクラ、リシリリンドウ、チシマリンドウなども、この辺から絶頂に達する間に自生していた。
 絶頂に達すると、木造の小さな祠《ほこら》があるが、確か不動尊を祀《まつ》ってあるという話しであった、絶頂は別段平地がある訳でもなく、またこの辺には樹は生えていなくて皆草ばかりである、草は少ない方ではないといって宜しかろう、この辺に、タカネオウギの自生しているのを見た、絶頂から少し向うへ下る所まで、木下君と同行したが、此所《ここ》でとうとう同君と分れて、自分は一人となった、その辺にリシリオウギ、ヒメハナワラビ、ミヤマハナワラビなどが生えている。
 この絶頂に立って眺むるというと、東北の方に当っては、宗谷湾が明かに見ることが出来て、白雲がその辺から南の方に棚引いて、広き線を引いておって、幽かに天塩《テシオ》の国の山々を見ることが出来た、西の方は礼文島《レブンとう》を鮮《あざや》かに見ることが出来て、その外にはいわゆる日本海で何にも眼に遮《さえ》ぎるものはなく、ただ時々雲の動くのを見るばかりである、それから今は日本の領地となったのであるが、樺太の方は、この時|朦朧《もうろう》として、何れが山であるか雲であるかを見分ることも出来ない有様であった、最も愉快であったのは、夕陽が西に廻るに従って、利尻山の影が東の海上にありありと映って、富士山でよく人の見るという、影富士と同様のものを、この北海の波上に見ることが出来たのである、なおそれよりも愉快であったのは、午後四時頃であったと思う、この利尻山の絶頂に於て、いわゆる御来光《ごらいごう》を見ることが出来た、即ち自分の姿が判然と自分の前を顕われるのを見ることが出来たのである。
 絶頂よりなお前面を見れば第二の峰が聳《そび》えているのであるが、時間がなくなったのでこの日は第二の峰に行かずして、前夜の露営地まで戻ることになった、今日は随分採集をしたのであるからして、その始末をするに、多くの時間を費して、終に徹夜をするような有様になった、しかしながら、前夜に比すれば、防寒具なども人足らが携え来ったのであるから、大いに寒気を凌《しの》ぐことが出来た。
 十二日の日も幸いにして晴天であった、午前三時頃露営の小屋を出でて仰ぎ見れば孤月高く天半に懸って、利尻山の絶頂は突兀《とっこつ》として月下に聳えている、この間の風物は何んとも言いようのない有様である、三時頃からして東の方が漸く明るくなって、四時半には太陽が地平線上に出た、この時西北の方を仰ぎ見ると、昨日は多少雲もあったが、今日は更に一点の浮雲もないので、礼文の方はますます鮮かに見ることが出来た上に、宗谷の方も東に無論見ゆるし、東北の方に一ツの小さな島を見ることが出来た、この島は無論樺太に属するものである、朝の食事を終ってから再び絶頂に進んで、それからなお第二の峰に向って足を進めたが、その間は僅に三、四町に過ぎないといっても宜しいであろう、勿論足場はよくないけれども、無論第一の峰ほどの困難はないのである、第二の峰にはあまり石などはないのであるが、自生している草は、チシマラッキョウ、エゾヨツバシオガマ、ホソバオンタデ、リシリソウなどで、殊にキバナノシャクナゲが甚だ夥《おびただ》しく自生していた、第二峰の先きに第三の峰があるが、この峰に行くのは甚だ困難で、中間に絶壁の殆んど足場の得難いものがあるので、残念ながら全く断念することの止を得ないのを認めた、第二峰から西の斜面に降ったところに、蝋燭《ろうそく》岩という大きな岩がある、岩の上にはタカネツメクサやらコイワレンゲなどが生じていて、またその岩の下には、チシマイワブキやら、エゾコザクラの花のあるのなどが生じておった、この辺は雪が消えて間もないような模様であったが、しかし残雪は認めなかった。
 既に第三峰に行くのを断念したから、この峰から後戻りをして、第一峰に帰り、それから少し下って右の斜面に這入《はいっ》て見たら、この辺は一面に草があって、その中にはアラシグサが沢山生えておった、なおそれから少し下ると雪が沢山に残っている、その大サは幅が十間ばかりもあったであろうか、長く下の方まで連っているのでその長サがどの位あるか殆んど窮めが附かない、この雪の両側にはキンバイソウが黄金色の花を開いて夥しく生じておった、その萼弁《がくべん》が十枚以上あって、あるいは一の新種ではなかろうかと思われるほどである、リシリキンバイソウもこの辺に生じていたし、エゾコザクラも丁度花盛りであった、無論この残雪のあるあたりは、幾分谷のような形をなしていて、その谷の両側は殆んど一面にハイマツが土を掩《おお》うている、そのハイマツを越えて、雪の左の方に向って進んで行けば、露営地の下の谷のところへ出られるのである、漸くこの辺に達した時分に天気が変って来て、終に雨が降り出した。
 あまり所々を採集して時間
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