た、その翌三十日には、加藤子爵の開墾地で同じ虻田村の中の幌萠《ホロモイ》という所に着いて、加藤子爵に会合することが出来た、その日その翌日などは、その附近の植物を採集して、種々の獲物があったが、これも今度の話の主でないから、ズット略することにしよう。
八月三日に加藤子爵の一行と札幌に到着して、山形屋に宿を取った、ところがどういう加減であったか、自分が病気を発したので、一時は折角の思い立ちも、此所《ここ》まで来て断念しなければならぬかと心配をしたけれども、思った程でもなく、翌日は殆んど全快をしてしまった、それから三日ほど過ぎて、六日の日であるが、札幌農学校の宮部博士と、加藤子爵とそれから子爵の随行の吉川真水という人と、幌向《ホロムイ》の泥炭《でいたん》地に採収を試みた、この日は山草家の木下友三郎君も同行せられることになった、ちょっと話が前に立戻るが木下君は、東京にある時から、此度の利尻登山に同行せられるかも知れないという予約があって、同君も他の用を兼ねて北海道に来らるる都合であったから、一同が途中で待合せつつ幾干《いくばく》か日数を費すような訳になったのである。
翌七日にはいよいよ利尻
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