ならぬ、ところが俗にいう、鹿を逐《お》う猟師は山を見ずで、植物の採集に夢中になっていると、山の形やら、途中の有様やら、どうも後から考えて見れば、筆を採って紀行文を作るということが、甚《はなは》だ困難である、そこでいずれその内にと思いながら次第に年月は経過するし、益々記憶がぼんやりするし、今日となっては紀行を書くということは、絶対に出来|悪《にく》いこととなってしまった、ところがこの事に当初から関係しておられる諸君は、頻《しき》りにこのことを余に責められるので、今更何とも致方《いたしかた》がない、それで幸いに山岳会の雑誌に大略のことを載せてもろうて、自分の責を塞《ふさ》ぎ、かつは加藤子爵及びその他の諸君にもこの顛末《てんまつ》を告げて謝したいと思う。
 加藤子爵は北海道に開墾地を持ておられるので、其方に先《さ》きに出発せられて、余が東京を出発したのは七月二十六日であった、勿論東京からは同行者もないので、青森に着いて、一、二の人を訪問して、二十八日に同所を出発して、二十九日に室蘭に上陸した、この間は別に話すべきこともないが、同日の午後四時に紋別《モンベツ》を過ぎて虻田《アブタ》の村に到着し
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