が遅くなったから人足が毛布を振って頻《しき》りに余を呼んでいる、モウ随分満足することが出来るほど採集したから、それより立ち戻って露営地に着した時は、日も漸く西の波間に没せんとする頃であった、いよいよ仕度を整えて、下山の途に就たのは七時に近い頃であって、余とこの時まで山上に止まっていたのは人足が二人である、少し下ったかと思うと、日は全く暮れてしまって、下るに中々困難で、加藤子爵の一昨夜のこともますます察せられた、殊に人足らは重い荷物を背負っているから大変に後《おく》れるのであるからして、余は提灯を点《つ》けてズンズン先きに進み、ハイマツの焼けて白くなっている所まで行って、人足らの下って来るのを待っておったが、段々夜は更《ふ》けるし、殊《こと》に何だか大きな鳥が時々飛んで来て、何やら気味が悪いような心持もするし、今から考えて見ると、大方北海に名高い鷲であろうかと思うが、その時は何の鳥という考もなく、時々棒を振って打とうとするが、中々それが届くほど低くは飛んで来ないのである。
人足も来たので、また打連れて下った、終に笹原の中に這入《はい》って幾度かつまずいたり、転んだりして、終に一ツの渓流のあるところまで下った、その時は十一時頃であった、こうなってはとても鴛泊まで行かれそうもないから、いっその事|此処《ここ》で露営した方がと思うた、それはツマリこの石のゴロゴロした谷を伝うて下るのであるから、とても今までのようなことではないという話であったから、止《やむ》を得ずそのことに決した、此所《ここ》に落付くことになったが、何分にも下は湿っているし、寒くはあるし、中々眠ることは出来ない、その上に雨は本式に降り出したので、何んともいえない困難をした。
十三日の朝になって、漸く宿に着した時には、もとより笠もないのであるからして、まるで濡鼠のようになって、衣服は全く水漬になってしまったのである、そんな有様であるから、雨の降るのを幸いに十三日一日は宿に閉籠って休憩《きゅうけい》をして、その次の十四日には雨も霽《は》れたから、加藤木下両氏と共に多少の散歩をした位で、十五日になってから、やっと小樽行の船が鴛泊に着したのでこれに乗込んだ、勿論往きに乗った日高丸が帰って来るはずであるが、どういう都合かその船の代りに駿河丸が来たので、それに乗って十六日の夜の十二時頃小樽の越中屋に帰着した、それから先はあるいは札幌の方に足を止《とめ》られた人もあるし、あるいは東京に急いで帰られた人もあるから、思い思いに分れてしまったが、とにかく利尻山の採集はここに全くその局を結んだのである。
余の記憶に残っているのはこんなことであって、誠に紀行とも言えないし、採集記とも勿論言えない位であるから、もし詳しいことを知りたいという方は『植物学雑誌』に出ている、川上君の「利尻島に於ける植物分布の状態」という論文を御覧になれば、山の模様から植物の分布の有様も一層明かになるであろうと思う、しかしとにかく前にも言った通り、登山の紀行を書かなければならぬという事になっているのであるから、申訳ながらせめて御話だけでもして、自分の責を塞《ふさ》ぐ積りである、どうかそのお積りで読んで頂きたい。
底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年9月17日第1刷発行
2004(平成16)年2月14日第3刷発行
底本の親本:「山岳 一の二」
1906(明治39)年6月
初出:「山岳 一の二」
1906(明治39)年6月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年2月4日作成
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