だと其殻片から種子を地面に離し落すに都合がよいからである、天然は中々用意周到なもんだ中々巧妙至極なもんだ
アヲギリは此の様に生え易く亦容易に生長して太り易いから若しも人があつてアヲギリの林を造りたければ其れは造作もなく出来る、が、然かし其んな物好きな事を為た人はなかろう、国によつては今日アヲギリの自然的と成つてゐる林を天然記念物として保護してゐるが、此等は実は我邦神代からのものではなくてズット後ちに出来た林である、元来此アヲギリは我邦固有な土産植物ではなく是れは或る時代に支那から来た者である、そして海辺附近の地が彼等には適処と見えて其んな処に能く生活し繁茂してゐる、若しも其処に一本のアヲギリがあれば其実の種子に依つて其近傍に其れが殖え行くことは訳のない事である、故に其林を作るも亦何等の面倒はない、然るに此んな生え易いものであるに拘はらず、又種子も風で撒布せられ易いものであるに関はらず、之れが日本全国的に山地に拡がらないのは、元来本品は土産植物でないから何にか其処に具合の悪い原因があるのではない乎と考へられる、それでなければ此アヲギリが日本へ這入つて来た後大分の年数も閲《へ》て来てゐるのであるから疾に全国的(人の栽植したものは別として)に拡がらねばならん理窟だのに
アヲギリは普通に庭木となつてゐる事は誰れもの見てゐる通りであるが、此樹の皮は繊維質で舟の綱に造る事が出来、水には頗る強いと謂はれる、又其種子は炒りて食用になる
彼の鳳凰の止つたと謂はれるキリは紫花が咲き材が下駄になる普通のキリではなくて、此アヲギリの梧桐である、能く邦人の描いた画には普通のキリに鳳凰が[#「鳳凰が」は底本では「凰鳳が」]伴つてゐれども其れは無論誤りであるから画かきサンは能く心得てゐなければならない
底本:「日本の名随筆 別巻14 園芸」作品社
1992(平成4)年4月25日第1刷発行
1996(平成8)年10月30日第4刷発行
底本の親本:「牧野植物随筆」鎌倉書房
1947(昭和22)年6月発行
入力:門田裕志
校正:川山隆、小林繁雄、Juki
2008年1月4日作成
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