轤ヲきけん》の『豊国紀行《ほうこくきこう》』に「別府のあたりには家の棟に芝を置いて一八と云花草をうえて風の棟を破るを防ぐ武蔵国にあるが如し、風烈しき故と云家毎に皆かくの如し」と書いてある。この紀行文は豊後別府の人森平太郎氏が昭和十四年に発行した『大分県紀行文集』に収録せられているが、この紀行文へ対して後に入れた頭注を書いた福田紫城氏の文に「鳶尾草也、大正震災前まで、東海道線平塚駅付近及び箱根山中の農家に於て、福田はしばしばこの風俗を目撃せり、別府に於ても明治十年頃までは、この古風俗を存したりと云ふ」と出ている。また益軒の『大和本草《やまとほんぞう》』にも紫羅傘[傘は棟の誤り]すなわちイチハツの条下に「民家茅屋の棟ニイチハツヲウヘテ大風ノ防ギトス風イラカヲ不破」と書いてある。
 昔の東海道筋にあたる武蔵程ヶ谷(保土ヶ谷)の藁葺の家には、その家根の棟にイチハツが栽えてあって、花時にはその花があわれにも咲いてなお昔の面影をとどめている。もしも時の進みでこの藁葺の家がなくなれば、この風景が見られなく、きのうはきょうの物語りになるのであろう。
 伊豆の湯が島(温泉場)ではこれを万年グサと呼んでい
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