梢を追うて生長するからである。ゆえにこんなのは三度グリともいい得れば、また七度グリとも十度グリとも十五度グリともいい得るのである。このように年々歳々その切株から芽出たせば、上のようにじつに無限に連続的開花の現象を現わすが、もし一朝その樹を刈らず伐らずして自由に生長させると、敢えて常木と異なるところのない凡樹となり、ついにその特状が認められなくなってしまう。我国各地に三度グリだの七度グリだのと呼ぶものは大抵こんな状態のものである。しかしたまには老木になっても年に二度開花する変わりものがあることが知られたが、今その珍らしい一例は、相州箱根宮城野村なる勝俣某の邸内にあるもので、これはかつて沢田武太郎君(今は故人となった)が昭和三年九月発行の『植物研究雑誌』第四巻第六号で写真入りで報ぜられているが、また同様なものが信州下伊那郡大鹿村大河原にもあるとのことである。
 伊予の国の某村にも右の土佐の三度栗と同様なものがあって、昭和六年の秋私が同国へ赴いたとき土地の人がそこを天然記念物保護地にしたいとの希望で、私の意見を求められたことがあったが、私は言下にそれは無駄だからヨセといって止めさせた。なぜな
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