来中国の原産であるが、それが昔同国から琉球へ渡り、琉球からさらに日本の薩摩に伝わった、すなわち薩州藩主の島津吉貴《しまづよしたか》(浄園公)が琉球からその苗竹を薩州鹿児島に致さしめたによるのだが、それは元文元年(1736)であった。それからこのモウソウチクで薩摩を起点として漸次に我国各地に拡まって、やがて竹類中の宗となった。
モウソウチクは孟宗竹と書く。これはもとより漢名ではなく初め薩摩での俗称であったのだが、今日ではこれが我国の通名となっている。元来孟宗は中国での二十四孝中の孝子の名で雪中に筍を掘って母に進めたといわれる故事から、この竹の筍が早く出て美味であるところから、この故事に付会し、さてこそこれを孟宗竹と名づけたものである。カンチク(寒竹の意)と呼ぶ小竹も冬に筍が生ずるので、これもまた同じく孟宗竹の俗名がある。しかるに中華民国二十六年(1937)に刊行せられた陳※[#「山+榮」、第3水準1−47−92]《ちんえい》の著『中国樹木分類学』に孟宗竹の名が挙げられているが、これを中国名だとするのはもとより誤りで、これはまさに日本名であるから蓋し著者がこの名を日本の書物から転載したも
前へ
次へ
全361ページ中292ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング