フでもない。またこの万葉歌の時代に果たしてムクゲが日本へ来ていたのかどうかもすこぶる疑わしい、したがってこれをアサガオというのは当っていない。
いま一つ『万葉集』巻十にアサガオの歌がある。すなわちそれは「朝がほは朝露負ひて咲くといへど、ゆふ陰にこそ咲きまさりけれ」である。この歌もまた桔梗として敢えて不都合はないと信ずるから、それと定めても別に言い分はない。すなわちこれは夕暮に際して特に眼をひいた花の景色《けはい》、花の風情を愛でたものとみればよろしい。
この『万葉集』のアサガオを牽牛子《ケンゴシ》のアサガオとするのは無論誤りで、憶良が七種の歌を詠んだ一千余年も前の時代には、まだこのアサガオは我が日本へは来ていなかった。そしてこの牽牛子のアサガオは、初め薬用として中国から渡来したものだが、その花の姿がいかにもやさしいので栽培しているうちに種々花色の変わった花を生じ、ついに実用から移って鑑賞花草となったものである。そしてこのアサガオは万葉歌とはなんの関係もない。
また万葉歌のアサガオをヒルガオだとする人もあったが、この説もけっして穏当ではない。
[#「(古名)アサガオ(一名)オカト
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