ニし数頭生えたことがあったが、その後いっこうにつん出てこない。今度幸いに生えたらその機をはずさず食わにゃならんと待ち構えている。
 アミガサタケは編笠蕈の意で、この名なら造作もなくその意味が分るが、カナメゾツネときたら唐人の寝言で何のことかサッパリ分らぬ。それでこの書へこうして出しておいたなら、世間は広いし識者も多いことだからあるいは解決がつかないもんでもなかろうと、一縷の望みを繋いでかくは物し侍べんぬ。

  茱萸とグミ

 日本の学者は昔から茱萸《シュユ》を Elaeagnus 属[#「属」に「ママ」の注記]のグミだと誤認しているが、その誤認を覚らず今日でもなおグミを茱萸だと書いているのを見るのは滑稽だ。昔はとにかく、日新の大字典たる大槻博士の『大言海』にも依然としてグミを茱萸としているのは全く時代おくれの誤りで、グミは胡頽子でこそあれ、それはけっして茱萸ではない。仮りに茱萸が山茱萸の略された字であるとしても、その山茱萸はけっしてグミではなく、たとえその実がグミに似ていてもグミとは全く縁はない。しかし正しくいえば、茱萸は断じて山茱萸の略せられたものではなく、そこに茱萸という独立の植
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