に用いられる。李時珍の『本草綱目』には「木ハ黄ニシテ黄色ヲ染ムベシ」と書いてある。そしてこの材の黄色なのは隣属の Rhus すなわちハゼノキ属のハゼ、ヤマハゼ、ヤマウルシ、ウルシも同様で、いずれも黄色を染めるに足るのである。
日本では昔からこの黄櫨をハゼノキと間違えて、ハゼノキを黄櫨だとしていた。ゆえに源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』にもそう出ている。櫨はこの黄櫨を略したもので、今でも世間一般にこの櫨の字をハゼだとして使っているが、それはもとより誤りである。そしてハゼは黄櫨でもなければ櫨でもなく、ハゼの中国の名は野漆樹である。
我国ではハゼノキの黄材で染めたものを黄櫨染といっているが、上に述べたように元来黄櫨はハゼノキではないから、本当は黄櫨染の字はあたらない。これはまさにハジ染というべきだ。ハジはハゼの古言であるが、さらにその前の古言はハニシであった。
ついでにいうが、今普通に蝋を採る樹をハゼノキといっているが、本来ハゼノキは別種である。そして右の採蝋樹はよろしくリュウキュウハゼ一名ロウノキ一名トウロウと呼ばねばならないものである。これは昔蝋を採るために琉球から持ち来ったもので、九州に最も多く植えられてある。この種が今往々山に野生しているのは鳥がその種子を分布させたものである。そして琉球へは中国から渡ったもので、畢竟本種は中国の産であって紅包樹と称するが、それは多分この樹が秋になれば最も美麗に紅葉するからであろう。実際この樹の紅葉は見事なもので、これを見ると我庭にも一本欲しいと思う。
ワスレグサと甘草
雑誌などによくワスレグサ(ヤブカンゾウ)のことを甘草と書いている人があるが、これは全く非で、このカンゾウに対してこの字を使うのはじつは間違いであることを知っていなければならない。これは萱草《カンゾウ》と書かねばその名にはなり得ない。ワスレグサの苗を食ってみると、根元に多少甘味があるから、それで甘草だというのでない。
萱は元来忘れるという意味の字で、それでその和名がワスレグサすなわち忘レ草となっている。このワスレグサの名は元来日本にはなかったが、萱草の漢名が伝ってから初めて出来た称呼だ。書物によれば中国の風習では何か心配事があって心が憂鬱なとき、この花に対すれば、その憂いを忘れるというので、この草を萱草と呼んだもんだ。そこでまた一つにこれを忘憂草とも称えまた療愁ともいわれる、すなわち療愁とは憂いを癒やす義である。
中国の萱草は一重咲のものが主品である、すなわち学名でいえば Hemerocallis fulva L[#「L」は斜体]. である。この種名の fulva は褐黄色の意で、これはその花色に基づいたものである。この品は絶て日本には産しなく、ただ中国のみの特産である。それでこれをシナカンゾウともホンカンゾウともいわれる。上に書いたヤブカンゾウ(一名鬼カンゾウ)はその一変種で八重咲の花を開くが、面白いことにこれは中国ばかりでなく日本にも産する。つまり母種の一重咲のものはひとり中国のみに産し、その変種の八重咲のものが中国と日本とに産する。地質時代の昔の日本がまだアジア大陸に地続きになっていた時分にこの八重咲品のみが日本へ拡がっていて、その後中国と日本との間へ海が出来た後ち今にいたるまでこの八重咲品のみが日本の土地へ遺され、親子生き別れをしたものだ。中国の『救荒本草《きゅうこうほんぞう》』という書物にこの八重咲品の図が載っている。
萱草を食用にすることは、日本よりも中国の方が盛んであるようだ。中国の本に「今人多[#(ク)]採[#(リ)][#二]其嫩苗及花※[#「足へん+付」、第3水準1−92−35][#(ヲ)][#一]作[#(シ)][#レ]※[#「くさかんむり/俎」、179−9][#(ト)]食[#(フ)]」と出て、また「人家園圃[#(ニ)]多[#(ク)]種[#(ユ)]」とも書いてある。また「花、葉芽倶[#(ニ)]嘉蔬[#(ナリ)]」ともある。また中国では「京師[#(ノ)]人食[#(フ)][#二]其土中[#(ノ)]嫩芽[#(ヲ)][#一]名[#(ク)][#二]扁穿[#(ト)][#一]」と述べてあるが、これはすなわち冬中に採る極めて初期の小さい嫩芽である。いつであったか数年前、東京の料理屋でこれを食膳に出したと聞いたことがあったがどこから仕入れたものか。これは通人の口に味う趣味的の珍らしい食品であって、多分少々舌に甘味を感ずるのであろう。おそらく扁穿とは扁《ひらた》き芽が土を穿って出るとの意味ではないかと思う。
憂さを忘れるなら何にもワスレグサに限ったことはなく、綺麗な花なら何んでもよい筈だが、中国でたまたま草が乏しい場所であったのか、この大きな萱草の花を撰んで打ち眺めたもの
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