いてある昆布は、けっしていま日本人が通称しているコンブ(コブとも略称せられる。村田|懋麿《しげまろ》氏の『鮮満植物字彙』にもこの誤りを敢てしている)そのものでは断じてない。では昆布の本物は何だというと、それはじつはワカメ(Undaria pinnatifida Suring[#「Suring」は斜体].)の名である。ゆえに和名のワカメをこの漢名の昆布とすれば正しいこととなる。そして我国の学者は東垣《とうえん》の『食物本草《しょくもつほんぞう》』にある裙帯菜《クンタイサイ》をワカメだとし前の村田氏の『鮮満植物字彙』にもそうしているが、これは間違いでこの裙帯菜はけっしてワカメそのものではなく、無論何か別の緑色海藻すなわち緑藻類である。右の東垣の『食物本草』にある裙帯菜の記文は「裙帯菜ハ東海ニ生ズ、形チ帯ノ如シ、長サハ数寸、其色ハ青シ、醤醋ニテ烹調フ、亦※[#「くさかんむり/俎」、158−7]ト作スニ堪ユ」である、すなわち長さが数寸あって帯のようで青色を呈し食えるとのことだから、あるいはアオサの一種かもしれない。
 いま通称している Laminaria のコンブ(non 昆布)の本当の漢名、すなわち本名は海帯であって、今日中国ではこれを東洋海帯《トンヤンハイタイ》ともまた単に海帯《ハイタイ》とも称えられている。この海帯こそ吾らが通称しているコンブすなわちコブの正しい漢名である。そして従来日本の学者はこの海帯をアラメ(Eisenia bicyclis Setchell[#「Setchell」は斜体])としているのは間違いで、上の村田氏の書にもそれを誤っている。朝鮮ではワカメのことを昆布と書くそうだが、これは正しくてけっしてその名実を取り違えているのではない。中国の梁の学者|陶弘景《とうこうけい》が昆布についていうには「今|惟《タダ》高麗ニ出ヅ、縄ニテ之レヲ把索シ巻麻ノ如ク黄黒色ヲ作ス、柔靱ニシテ食フベシ」とある。唐の陳蔵器《ちんぞうき》という学者は「昆布ハ南海ニ生ズ、葉ハ手ノ如ク、大サハ薄キ葦ニ似テ紫赤色ナリ」といっている。東垣の『食物本草』には「人取テ酢ニテ拌シ之レヲ食ヒ以テ※[#「くさかんむり/俎」、158−17]ト作ス」と書いてある。
 今一般にいっているコンブは既に前にも書いたように、昔はこれをヒロメともエビスメとも名づけていた。もし今日誤称せられているコンブの名を一般人が間違いであると気づいて、その呼び名を改訂し正しきにかえさねばならんという気運が万一にも向い来たことがあったとすれば、これを右ようにヒロメ(幅広い海藻の意)と呼べば古名復活にもなって旁《かた》がたよろしい。が、かくも深くかくも強く浸潤せる腐り縁のコンブの名は容易に改め得べくもない。
 今海藻学を専門としている学者でさえも、昆布をコンブと呼んでいるこの間違いを清算することが出来ず、その著わされた海藻の書物には、みな一つとしてこの誤謬を犯していないものはない。どうも病が膏肓《こうこう》[#「膏肓《こうこう》」は底本では「膏盲《こうこう》」]に入っては大医も匙を擲たざるをえないとはまことに情けない次第だ。
 声を大にし四方を脾睨《へいげい》して呼ぶ。海帯がコンブであるゾヨ! 昆布がワカメであるゾヨ! 海帯はアラメでないゾヨ! 裙帯菜はワカメでないゾヨ!

  『草木図説』のサワアザミとマアザミ

 飯沼慾斎《いいぬまよくさい》の著『草木図説《そうもくずせつ》』巻之十五(文久元年[1861]辛酉発行、第三帙中の一冊)にその図説が載っているサワアザミの図と、その直ぐ次に出ているマアザミの図とは、それが確かに前後入り違っていることはこれまで誰も気のついた人は全くなかった。これはサワアザミの説文に対して在る図を移してマアザミの説文へ対せしめておけばよろしく、またマアザミの説文に対して在る図を移してサワアザミの説文へ対せしめておけばそれでよろしい。そうすればここに初めてサワアザミの説文がサワアザミの図に対して正しくなり、またマアザミの説文がマアザミの図に対して正しくなって、そこで両方とも間違いを取り戻して正鵠を得たことになる。そしてこの図の入り違いは多分偶然に著者がその前後を誤ったものであろう。今かく正してみると、従来植物界で用い来ているサワアザミとマアザミとの和名の置き換えを行なわねばならない結果となる。すなわち Cirsium Sieboldi Miq[#「Miq」は斜体]. はマアザミではなくてサワアザミ一名キセルアザミとせねばならなく、また C. yezoense Makino[#「Makino」は斜体] はサワアザミではなくてマアザミと改めねばならぬのである。
 近江の国伊吹山下の里人が常に採って食用にしているといわれる右のマアザミの実物を知りかつその形状を見たく、
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