@しょうがないなあとつぶやく。
 この学名の Iris tectorum Maxim[#「Maxim」は斜体]. の tectorum は「家根ノ」あるいは「家屋ニ成長シテイル」との意味である。この種名はこの学名の命名者マキシモウィチ(Maximowicz)氏が日本で家根のイチハツを望み見て名づけたものである。そしてその研究命名の材料の一つは横浜付近で得たのだから、多分それは程ヶ谷町(保土ヶ谷町)で採ったのであろう。そして同地では今日でもなおイチハツの藁葺屋根が残っている。
 中国の書物の『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』にある紫羅襴(イチハツ)の文中に「性喜[#(コノム)][#二]高阜墻頭[#(ヲ)][#一]種[#(レバ)]則易[#(シ)][#レ]茂[#(リ)]」とあるところをみれば、同国でも高い阜《おか》や墻《かき》の背に生えることがあると見える。そうするとこのイチハツはその生えているところがたとえ乾くことがあっても、それに堪え忍ぶ性質をもっていると思う。つまりその地下茎が硬質で緻密でよく水を抑留して長くその生命を保っているものとみえる。
 元禄七年(1694)にできた貝原益軒《かいばらえきけん》の『豊国紀行《ほうこくきこう》』に「別府のあたりには家の棟に芝を置いて一八と云花草をうえて風の棟を破るを防ぐ武蔵国にあるが如し、風烈しき故と云家毎に皆かくの如し」と書いてある。この紀行文は豊後別府の人森平太郎氏が昭和十四年に発行した『大分県紀行文集』に収録せられているが、この紀行文へ対して後に入れた頭注を書いた福田紫城氏の文に「鳶尾草也、大正震災前まで、東海道線平塚駅付近及び箱根山中の農家に於て、福田はしばしばこの風俗を目撃せり、別府に於ても明治十年頃までは、この古風俗を存したりと云ふ」と出ている。また益軒の『大和本草《やまとほんぞう》』にも紫羅傘[傘は棟の誤り]すなわちイチハツの条下に「民家茅屋の棟ニイチハツヲウヘテ大風ノ防ギトス風イラカヲ不破」と書いてある。
 昔の東海道筋にあたる武蔵程ヶ谷(保土ヶ谷)の藁葺の家には、その家根の棟にイチハツが栽えてあって、花時にはその花があわれにも咲いてなお昔の面影をとどめている。もしも時の進みでこの藁葺の家がなくなれば、この風景が見られなく、きのうはきょうの物語りになるのであろう。
 伊豆の湯が島(温泉場)ではこれを万年グサと呼んでい
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