は、みなこのように果中にただ雌花のみを具えていて敢て雄花を見ない。イチジクの種類によってはその入り口の方に雄花があって、他はみな雌花のものもあるが、日本へはまだそんなのは来ていない。雌花に結ぶ小さい核果(Drupe)には各一つの堅い粒《ツブ》があるが、それはクワの実にあると同じようないわゆる核であって種子ではなく、種子にはいっこうに胚が育っていない。ゆえに種子はみな粃《シイナ》であるからこれを播いても生えて来ない。このように種子が孕まないのは雄花がない結果であろう。前記の通りこの各の花にはみな小梗があって、その梗頂がすなわち花托(receptacle)になっていることを特によく心に留めていなければならない。大抵の学者でもこれを看過しているのはどうしたものだ。
 ところで世界の多くの学者でも、また日本の学者でも、いつも誤っている事実は、この閉頭果すなわちイチジクの実の外壁の部、すなわち中部の花もしくは果実を包んでいる内嚢壁の部を、花托(receptacle)もしくは総花托(common receptacle)だとしていることである。これはじつに思わざるのはなはだしきもので、この部は花托でも何んでもなく、これはそれを正直にいえば単に変形せる花軸である。その花托は内部の小花にこそあれ(上に書いたように)他の場所にある理屈がない。小花にも花托があり、さらにその小梗下の肉壁にも花托があるということになると、畢竟二重に花托が存在している結論となる。そうでないのか、考えてみればすぐ判ることだ。元来花托とは花梗《かこう》の頂端で萼、花弁、雄|蕊《ずい》、雌蕊の出発しているところではないのか。イチジクの花托についてこれまでの書き方は不徹底至極で、天下には沢山な学者がいるのにかかわらず、誰一人正論を唱えてこれを説破した者がないとは、なんとまあ不思議なことではないか。
 イチジクは前述の通りクワ科に属する。昔の昔のその昔、大昔のまだ昔、イチジクの果が今日のようにならん前の原始的の花穂は、多分クワの花の花穂のようなものであったろうことが推想し得られる。それがあるテンデンシーをとって進み、幾多地質時代の幾変遷をへつつ、漸次に今日のような形態に到達したのであろう。同じクワ科のドルステニア(Dorstenia)の花は普通の花穂とイチジクとの中間を辿っているとみてよかろう。しかしこの植物の小花は無
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