士の『食菌と毒菌』ならびに『日本菌類図説』、朝比奈|泰彦《やすひこ》博士監修の『日本隠花植物図鑑』、または広江勇博士の『最新応用菌蕈学』等の諸書にはこの楯形を呈した品すなわち forma は一向に書いてないところをもってみると、菌学者もあまりこれを見ていないようだ。
右 Thunberg 氏の著 Flora Japonica(1784我が天明四年刊行)の書に出ている記載文を伴ったマンネンタケの図を同書から写して左に掲げてみる。これは西洋の書物に載っている本菌最初の写生図である。
先年私は広島県安芸の国の三段峡入口で銀白色を呈していたマンネンタケ一個、その菌蓋の直径およそ十センチメートルばかりのものを得て東京に持ち帰った。その菌体の色から私はこれをシロマンネンタケと号けたが、その学名は未詳である。多分一つの新種に属するものであろうと想像するが、そのうち菌学専門家に聴いてみたいと思っている。
[#「マンネンタケの種々の形状」のキャプション付きの図(fig46820_31.png)入る]
[#「Boletus dimidiatus Thunb[#「Thunb」は斜体].Mannen Taki[#「Mannen Taki」は斜体](Thunberg[#「Thunberg」は斜体], Fl. Jap. p. 348, tab. ※[#ローマ数字10、1−13−30]※[#ローマ数字10、1−13−30]※[#ローマ数字10、1−13−30]※[#ローマ数字9、1−13−29])Fomes dimidiatus Makino[#「Makino」は斜体](nov. comb.)マンネンタケ」のキャプション付きの図(fig46820_32.png)入る]
オリーブとホルトガル
昔蘭学時代にはオリーブ(Olive)すなわちオレイフ・ボーム(Olive−baum)のことをホルトガルといった。寛政十一年(1799)出版の大槻玄沢《おおつきげんたく》(磐水《はんすい》)の著『蘭説弁惑《らんせつべんわく》』に図入りで出ている。そしてその油すなわちオリーブ油をホルトガルの油と呼んだ。それはホルトガル船が持ち渡したからで、またその樹も同じくホルトガルと称えた次第だ。
我国の徳川時代における本草学者達はヅクノキ一名ハボソを間違えて軽率にもそれをオリーブだと思ったので、今日でもこの
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