一巻(1930)に美麗に著われた原色写真が出ている。
 安永五年(1776)に刊行せられた松平君山の『本草正譌《ほんぞうせいか》』には「万寿菊、単葉重葉アリ俗ニ単葉ノモノヲ天林花ト云ヒ重葉ノモノヲ満州菊ト云フ万寿菊ノ訛ナリ」と書いてある。

  サネカズラ

『後撰集』の中の恋歌に三条右大臣の詠んだ「名にしおはゞあふ坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな」というのがあって人口に膾炙している。そしてこの逢坂山(昔は相坂《あうさか》とも合坂《あうさか》とも書いた)は元来山城と近江との界にあって東海道筋に当り、有名な坂で昔の関所の旧跡であるが今日では近江分になっている。そのかみここに蝉丸という盲人が草庵を結んで住み、かの有名な「これやこの行も返るも別れつヽ知るも知らぬも逢坂の関」という歌を詠んだということが言い伝えられている。
 さて上の歌に詠みこまれてあるサネカズラとは一体どんなものか。すなわちこのサネカズラは実蔓《サネカズラ》の意でその実が目だって美麗で著しいから、それでこのような名で呼ばれるようになったのだ。その実の形はちょうど彼の生菓子のカノコに似て、その赤い実が秋から冬へかけその長梗で蔓から葉間に垂れ下がっている風情、なかなかもって趣きのある姿である。これが時に岡の小藪で落葉した雑樹に懸って見られるが、また往々その常緑葉を着けた蔓をまといつかせて里の人家の生籬につくられ、そこを覗いてみるとよくその赤い実が緑葉の間に隠見している。
 この実は雌花中の雌蕊の花托軸が膨らんで球形となり、その球面に多数の子房の成熟して赤色をなせる球形多汁の漿果が付着しているのである。そしてこの蔓の枝に雄花と雌花とが出てその花は黄色を呈している。蔓は右巻きの褐色藤本で、そのよく成長したものは根元の太さ周囲九寸、根元から一尺五寸許り上の所で周囲五寸六分のものがあった。その外皮は軟質のコルク層がよく発達し手障りが柔らかく、かつ蔓面は縦に溝が出来て溝と溝との間が畦となっている。
 このサネカズラは昔それをサナカズラといったとある。そしてその語原は滑《ナメ》りカズラの意で、サは発語、ナは滑りであるといわれ、このサナカズラが音転してサネカズラとなったとのことであるが、私はその解釈がはなはだややこしく、かつむつかしく、そしてシックリ頭に来なく感ずる。しかしそうするとサネカズラの語原が二つになって
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