seolus vulgaris L[#「L」は斜体]. の学名を有し、すなわち俗に Kidney Bean(腎臓豆の意でその豆の形状に基づいた名)といわれているものである。従来これに菜豆の漢名が用いられているが、それは誤りで、この菜豆は何か別の豆の名であると断言する理由を私は掴んでいる。これは昔からある漢名で、東洋へこの贋のインゲンマメすなわち Phaseolus vulgaris L[#「L」は斜体]. が来たずっと以前からの名であるから、その菜豆はけっしてこの豆の漢名にはなり得ないようだ。そして我国の学者がこれを贋のインゲンマメの名としたのは、満州での書物『盛京通志《せいけいつうし》』によったもので、すなわちその文は「菜豆、如[#(ク)][#二]扁豆[#(ノ)][#一]而[#(シテ)]狭長可[#(シ)][#レ]為[#(ス)][#レ]蔬[#(ト)]」である。また同書菜豆の次ぎの刀豆《ナタマメ》に次いで雲豆と書いてあるものがあって「種来[#(リテ)][#レ]自[#二]雲南[#一]而味[#(イ)]更[#(ニ)]勝[#(ル)]俗[#(ニ)]呼[#(ブ)][#二]六月鮮[#(ト)][#一]」とあるが、あるいは贋のインゲンマメすなわち今のインゲンマメではなかろうかと思われないでもない。これに六月鮮の名があるところをみると、贋のインゲンマメのように早くも六月頃に青莢が生るものとみえる。しかしこの Phaseolus vulgaris L[#「L」は斜体]. のインゲンマメ(贋の)の漢名は龍爪豆であって一名を雲※[#「くさかんむり/(禾+編のつくり)」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第4水準2−87−6]豆といわれる。
 この贋のインゲンマメ(Phaseolus vulgaris L[#「L」は斜体].)は上に書いた隠元禅師将来の本当のインゲンマメ(Dolichos Lablab L[#「L」は斜体].)よりはずっと後に日本へ渡来したものである。そしてその初渡来はおよそ三三五年前で、右の本当のインゲンマメの渡来より後れたことおよそ五十年ほどである。ゆえに隠元禅師が日本に来たときには、まだその贋のインゲンマメは我国に来ていなかったから、この豆はなんら隠元禅師とは関係はない。
 今日一般に誰も彼もいっているインゲンマメ(贋の)は海外から初め江戸へ先ずはいって来たものらしい。多分外船が
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