。その葉をひろげたら直径が約五尺ほどもあった。これを遂に船着き場所の富江《とみえ》まで運び、汽船と汽車とで東京へ持ってきて、上野公園内の博物館にうえたが、その後遂に枯死してしまった。こういうことをしたのも一心に採集へ馬力をかけたわけだ。
右のことはほんの一部の植物採集談であるが、これはただの遊びごとにしたことでなく、たとえ楽しかったとはいえ、全く汗水流しての積極的採集で自分の学問のために努力したのである。それがため、私は植物の地理分布、種類などを自分から学ぶことができたのである。
私は一日もその学問から離れたことはなく次から次へと楽しく勉強を積んだわけだ。私ほど一生苦しまずに愉快に研究を続けて来た人間は世間にかなり少ないようだ。それゆえ私は少年の時と今日老年になった時と、その学問のぐあいは少しも違っていなく、ただ一直線に学問の道を脇目もふらず通ってきたのである。
こんな数十年にわたる努力が遂に私の植物知識の集積になったわけだ。今年九十三年に達した私はこれから先、体のきく間、手足の丈夫な間、また頭のボケヌ間は、いままで通り勉強を続けて、この学問に貢献したいと不断に決心している。
もうこの年になったとて決して学問を放棄してはいない。
底本:「日本の名随筆 別巻34 蒐集」作品社
1993(平成5)年12月25日第1刷発行
1998(平成10)年5月30日第2刷発行
底本の親本:「若き日の思い出」旺文社
1955(昭和30)年1月発行
入力:門田裕志
校正:川山隆、小林繁雄、Juki
2008年1月4日作成
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