には、もしあの早く咲くカンザクラが少なくも十本でも二十本でも上野公園内に植えられ、同公園に一族の桜花が他の花に率先して咲いてその風景に趣を添えたとしたら、どれほどみなの人に珍しがられることであろうと信じた。
そこでそのとき上手な植木屋に命じて、その一本の親木から接《つ》ぎ穂を採って用意せる砧木に接がせてみた。しかしどうも活着がむつかしくて、やっと二本だけ成功させたので、これを公園へ出す前にまずそれを母樹の傍へ植えさせた。
幸いにこの二本の幼樹がその後勢いよく生長しつつあったが、今日はそれがどうなっているのかと、ときどきこれを思い出すのである。元来当時自分の意見で上のように実行したものであるから、おりに触れてこれを回想するたびに右のカンザクラの親木と児の木とについて心もとなく思っているので、この博物館のカンザクラについて上に述べたような事実があったということをここに書いておくのもせめてもの心やりである。右のことがらはおそらく今日の博物館のお方もご存じないことであろうと想像するから、今ここにそのありし当時のいきさつを書き残しおくこともあながち無益ではなかろうと信ずる。
私は上のごとく
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