ようにだいぶ弱っていはせぬかと想像する。
東京上野公園内、東京帝室博物館の正門を入ったすぐ正面より少し右の地点にカンザクラの老樹一本があって、毎年花が咲くとよくその写真が新聞紙上に出て、上野公園のヒガンザクラが咲いたとその名を間違えて書いてあった。
公園唯一のこのカンザクラは、今日はその樹がどうなったか、ここも私は久しく行かぬゆえ今その辺の消息が分からないが、大震災後同館内もだいぶ変わったから、今日では果してそれがどうなっているか、安全? 異変があった? そこへ行ってみれば分かることだが、もしも旧来からの場所に見えないとならば、この名樹は今どこへ移されたか、あるいはむざんに切られたか、それを突き止めてみたい気もする。
右博物館内のこのカンザクラについては、ここに左の話を書き残しておかねばならぬことがある。このカンザクラは私にとっては思い出の深い一樹であるからである。
明治から大正へかけて、私は一度右の帝室博物館の天産部に兼勤していたことがあった。それはむろん大震災の前であった。その時分には上野公園は博物館と同じく宮内省の所属であって、公園は博物館で管理していた。当時私の考えたの
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング