若を同じショウガ科のアオノクマタケランに当てた正説に最も近く、これをかのカキツバタだのヤブミョウガ(ツユクサ科の)だのに当てた説に比ぶればずっとその洞察が優れているからである。
サテ、杜若をカキツバタではないと一蹴したわが邦の諸学者、それは稲生若水、小野蘭山等を初めとして今日だれでもみな燕子花をカキツバタだととなえ納まりこんで涼しい顔をしているが、私はこれらの人たちのなんの苦もないようなお顔を拝見すると思わずハハハハハハと笑いたくなる。そしてその誤りを負い込んでもいっこうにそれに目ざめない不覚をあわれに感ずる。なんとならばカキツバタは断じて燕子花ではないからである。しからばすなわち世間一般の衆にそむいて、かくそれを否定する根拠がどこにあるのかと尋問せらるれば、すなわち私は躊躇なくただちにそれはここにあると即答する。すなわち今次にこれを述べてみよう。
カキツバタでは決してないぞとすべからく断定すべき燕子花の名は、元来宋の時代の朱輔(桐郷の人で字は季公)という人の著わした『渓蛮叢笑』と題する書物に出ていて、その文は
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紫花にして全く燕子に類し藤に生ず一枝に数葩(
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