若を同じショウガ科のアオノクマタケランに当てた正説に最も近く、これをかのカキツバタだのヤブミョウガ(ツユクサ科の)だのに当てた説に比ぶればずっとその洞察が優れているからである。
サテ、杜若をカキツバタではないと一蹴したわが邦の諸学者、それは稲生若水、小野蘭山等を初めとして今日だれでもみな燕子花をカキツバタだととなえ納まりこんで涼しい顔をしているが、私はこれらの人たちのなんの苦もないようなお顔を拝見すると思わずハハハハハハと笑いたくなる。そしてその誤りを負い込んでもいっこうにそれに目ざめない不覚をあわれに感ずる。なんとならばカキツバタは断じて燕子花ではないからである。しからばすなわち世間一般の衆にそむいて、かくそれを否定する根拠がどこにあるのかと尋問せらるれば、すなわち私は躊躇なくただちにそれはここにあると即答する。すなわち今次にこれを述べてみよう。
カキツバタでは決してないぞとすべからく断定すべき燕子花の名は、元来宋の時代の朱輔(桐郷の人で字は季公)という人の著わした『渓蛮叢笑』と題する書物に出ていて、その文は
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紫花にして全く燕子に類し藤に生ず一枝に数葩(漢文)
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ですこぶる簡単しごくなものである。が、しかしその性状はまことによく言い尽している。そしてこの燕子花には紫燕ならびに煙蘭という別名がある。
今ここに上の『渓蛮叢笑』の文とカキツバタの形状とを対照してみると、その間に截然たる相違点があって、その燕子花が決してカキツバタにあたっていないことがただちに看取せられる。このことは今から二百十五年前の享保十三年に『本草綱目補物品目録』(出版は宝暦二年)で、初めて後藤※[#「犂」の「牛」に代えて「木」、第4水準2−14−90]春が『渓蛮叢笑』に載っている燕子花は藤生でカキツバタには合わぬと喝破し、また畔田翠山もかれの『古名録』で同様な意見を述べ、ともにカキツバタを燕子花とする説を否定している。しかるに他の諸学者連はこの慧眼なる二学者の警鐘に耳をおおいあえてその誤りを覚らないのは憫然《びんぜん》のいたりである。
カキツバタの花はその花形決して燕には類してはいない。しかしこれを燕子花だと信じている学者の中には、なるべくその花を燕に連絡さすように工夫し、「花は夏の頃さきて、そのはなびらの、ながくなびきて、しなやかなるこ
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