くげん》御指摘《ごしてき》、実に慙愧《ざんき》に不堪[#「堪」に「[ママ]」の注記]ず、御深志|忝《かたじけなく》存《ぞんじ》候《そうろう》。
 行蔵《こうぞう》は我に存す、毀誉《きよ》は他人の主張、我に与《あず》からず我に関せずと存《ぞんじ》候《そうろう》。各人《かくじん》へ御示《おしめし》御座《ござ》候《そうろう》とも毛頭《もうとう》異存《いぞん》無之《これなく》候《そうろう》。御《おん》差越之《さしこしの》御草稿《ごそうこう》は拝受《はいじゅ》いたし度《たく》、御許容《ごきょよう》可被下《くださるべく》候也《そうろう》。
  二月六日[#地から2字上げ]安芳
   福沢先生
 拙《せつ》、此程《このほど》より所労《しょろう》平臥中《へいがちゅう》、筆を採《と》るに懶《ものう》く[#「懶く」は底本では「瀬く」]、乱《らん》筆|蒙御海容度《ごかいようをこうむりたく》候《そうろう》。
[#改ページ]

     榎本武揚氏の答書

 拝復。過日|御示《おしめし》被下《くだされ》候《そうろう》貴著|瘠我慢中《やせがまんちゅう》、事実《じじつ》相違之廉《そういのかど》並《ならぴ》に小生之《しょうせいの》所見《しょけん》もあらば云々との御意《ぎょい》致拝承《はいしょういたし》候《そうろう》。昨今|別而《べっして》多忙《たぼう》に付《つき》いずれ其中《そのうち》愚見《ぐけん》可申述《もうしのぶべく》候《そうろう》。先《まず》は不取敢《とりあえず》回音《かいおん》如此《かくのごとく》に候也。
  二月五日[#地から2字上げ]武揚
   福沢諭吉様



底本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」講談社学術文庫、講談社
   1985(昭和60)年3月10日第1刷発行
   1998(平成10)年2月20日第10刷発行
底本の親本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社
   1901(明治34)年5月2日発行
初出:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社
   1901(明治34)年5月2日発行
※副題の「書簡」は、このファイル作成時に付けたものです。
※誤り箇所は底本の親本にて確認しました。
※「福沢先生の手簡」の末尾、「申上候《もうしあげそうろう》。以上。」は、底本の親本では、「申上候也。」となっています。
入力:kazuishi
校正:田中哲郎
2006年11月7日
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