三人はあまりに単なる「市民」でなさすぎる。ジェンキンスとセワードとの関係は、すでにわれわれが見たとおりに一通りのものではない。現在の領事裁判長はついこのほど被告の報告に基づいて米国対朝策を進言して、しかも実現の途上にあるのだ。
 フェロン師と仏国官憲との緊密な関係については繰返す必要がない。最後にオッペルトだが、彼はこの事件の「主謀者」というので、輿論は例の調子を最も露骨に示して、「ユダヤ人行商人」「ちゃち[#「ちゃち」に傍点]なハムブルグ貿易商」などと書かせている。だが彼は二年前、二本マストの外輪蒸汽船「エムペラア」号の主人となって朝鮮にゆき、漢江《かんこう》下流一帯の測量をやっている。測量が目的だったのか何が目的だったのか、例によって不明だが、ともかくそのとき、生命からがら潜んでいたフェロン師の密書をことづかって、在支仏国官憲に取次いだという因縁がある。彼とフェロンとの関係はそれ以来だ。こんなふうで指導者たる三国三教人は、いずれも在支当局者との間に、切ってもきれぬ従前からの関係があった者ばかりだ。スペイン領事からの横槍とそれに基づいた「輿論」さえなかったら、何とか無事に済んだ手合であろう。
 そのときジェンキンスの領事裁判に、「参審《アソシエート》」の一人として列席した上海在住米人の有力者A・A・ヘイーズ氏なる者が、後年ある機会にアメリカの新聞に寄せた一文を見ると、事件から正に十二年も経ったのちでありながら、いかにもさっぱりしないいい方である――
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「………王陵侵掠という前代未聞の事件は、朝鮮人の攻撃に逢ってマニラ兵が死んだばかりに、ボロを出した。領民が殺害されたというので、スペイン領事が事件をセワード氏――当時の上海米国総領事――に照会する、セワード氏は早速ジェンキンスを捕縛する。四人の“参審”の一人としてこのときの領事裁判に列席した私は、事件がどんな茶番だったか、よく記憶しているが、予審で何から何まで喋《しゃべ》ったシナ人が、公判廷では牡蠣《かき》のように沈黙を守るので、参審会議を開いても判決のしようがない。とはいえ、事件を知悉《ちしつ》した者の眼からすれば、この海賊的遠征隊の暴状は、花崗《かこう》岩の霊廟を石炭ショベルで破壊せんと企てた馬鹿さ加減以上であることは、明らかであった……」。
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「シナ人」というのは遠
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