、そのためかえって、そのわずかな暇または偶然に与えられた機会に盗みをするように、かねて気にかかっていたつまらぬことがらを大事件らしくひねくりまわすことができると、その瞬間だけはひどく暇持ちになったような、はなはだのんびりした気持になる。むろんこれまた阿片の類にちがいない。

[#7字下げ]二[#「二」は中見出し]

 さて、はじめておよそ太平洋を横断した蒸気船は北太平洋ではなく南太平洋の出来事だ。一八五三年まで、一隻の汽船も太平洋を渡っていない。だがこの年一千トンの推進汽船「モニュメンタル・シティ」号(米国船)がサン・フランシスコからシドニーへ渡った。
 その所要日数七十五日は、立派な記録と評判されたが、彼女にこれ以上の記録を出す機会は与えられないでしまった。
 というのも、この船は合衆国へ引返さず、シドニー・メルボルン航路に廻わされたのだが、その一カ月後、シドニー、メルボルン間の濠洲海岸で難破してしまったからである。
 その年の六月ペリーの「黒船」が浦賀《うらが》へはじめて来ているが、これはそれまで日本へ来たすべての米国船と同様に大西洋からインド洋を経てきたものである。
 はじめて北太平洋を横断した汽走船――商船といわず軍艦といわず――については残念ながらはっきりしたことがまだ書けない。
 北太平洋横断の定期就航汽船の最初のものが一八六二年六月八日にサンフランシスコから横浜に着いたC・W・ブルックス会社の郵便蒸汽船ジョン・T・ライト号(三百七十トン)だったということは、明らかになっているが、それ以前に単独で横断した汽走船としてさしあたって間違いのない記録は、ついこの間まで汽船を見たこともなかった日本の汽走軍艦|咸臨丸《かんりんまる》である。
 咸臨丸はその時(万延《まんえん》元年正月、一八六〇)遣米使節を迎えにきた米国汽走軍艦「ボーハタン」より一足先に品川を発って三十七日かかってサンフランシスコへ直航した。「船将」勝海舟《かつかいしゅう》以下日本人ばかりでともかくこの壮挙をやってのけたので、非常なセイセイションを起した。
 ボーハタンが太平洋を渡って迎えに来たのかどうか、その前ペリー艦隊中の汽走艦ミシシッピーが、単独で太平洋を渡って帰っていったのでなかったかどうか、これらはまだ調べるための「暇」も機会もありそうにない。
 ともかく間違いのない事実として、汽船による
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