樫材)が暴騰した。利潤のためには鉄の意志をもつ船舶業者は本気で鉄造船の試図《トライアル》をやりはじめた。
 自然に反するどころではなかった。鉄造船は同じ図体の木造船にくらべてかえって総重量は軽いことがわかった。
 当時の技術をもってして鉄造船の場合船体および艤装《ぎそう》を合わせて重量は排水トン数の三十パーセントで済んだが、木造船の場合は四十パーセントだった。
 鉄造船は同一トン数の木造船より四分の一だけ軽く済んだ、したがってそれだけ貨物積載量が殖《ふ》えた。
 耐久力の上ではいうまでもないが、一八三四年に鉄造船ガリイ・オーエン号が処女航海で暴風を喰った。ほかの木造船は完全に難破したがこの船だけは無傷だった。
 それでもまだ諸国|逓信《ていしん》省は郵便物の托送を頑として鉄造船にたいしては拒みつづけた。「自然に反する――浮ぶはずがない」という以前の曰《いわ》くの代りに「自然に反する――コンパスを狂わせる」という信条だった。一八五四年にメルボルン行の鉄造帆船テイラアがラムベイ・アイランドで霧のため難破して三百三十四人死んだ。もってコンパスにたいする憂いの実証とされた。
 世界に君臨する大
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