キ以下を、船長六十フィートごとに完全に遮断する横隔壁を設け、船首と船尾にはもうひとつ特別な隔壁を作った。
 鉄の船は沈む――という臆断は、これで完全に否定されたわけだ。いな、およそ沈まぬ船というものが、木でなく鉄によって、はじめて実現されたのである。
 一八五八年一月三十一日。このあらゆる意味で画期的な海の巨人が、近代資本主義の祝福を一身に集めて、進水式を挙げる日である。「グレート・イースタアン」は六八〇フィートの長大な船体をテームズ河に併行させていた。進水は横|辷《すべ》りに行われる。ボイラーも何もはいっていない正味一万二千トンの重さを、約八〇平方フィートの二台の承船架《クレードル》が、がっちりとのっけて、さらにその承船架を支えて河中まで、たっぷり油を引いた幅八十フィート長さ二百フィートの滑走路が、十四フィートに一フィートの傾斜でのびていた。
 ところが、いよいよ羅針盤《コンパス》の四隅は銀盃の酒で清められ、支柱がとり外され、巨体が一間ばかりそろそろと辷った、と思うと、どうしたわけか、そこへ釘づけになって、梃《てこ》でも動かない。
 水圧機を使ったり、散々手間と金を費したあげく、ようやく満潮時の河水に浮んだのは、それから三カ月のちだった。船は浮んだ。最後の予算外の大失費のため、今度は会社の方が沈没した。
 進水した「グレート・イースタアン」は、その後さらに一年と四カ月ばかりは、艤装も施されず、有楽町の半出来の映画劇場みたいに、醜怪な姿を曝《さら》しものにしていた。が、やっと工面がついて、一八六〇年六月処女航海を行った。
 だがその航路は、彼女本来の使命であった濠洲航路ではなく、太平洋航路だった。そもそも濠洲航路を補助金なしで稼ごうというのでできあがった巨大船である。その性能をもってこの長航路を独占し、往も復も満員満載――にちかい状態を予想して、そもそも算盤が弾かれていた。それも、さんらんたる金色の雲が濠洲を包んでおった六年前の算盤である。その黄金狂時代は、カリフォルニアでも、濠洲でもあまりに早くすぎ去ってしまった。
 結局のところ濠洲黄金狂時代の申し子であった巨船「グレート・イースタアン」が、結局のところ大西洋を――他人の洋《うみ》を――稼がねばならん破目《はめ》となった。
 そこには一八三七年以来の歴史をもつキュナード汽船が、ことに最近、多年の競争相手だった米国
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