、北大西洋に全力を集中して戦われつつあったことだ。
四〇年代の北大西洋は汽船は英、帆船は米ときまりがついていたのが、五〇年早々米国のコリンス会社が政府の強力な補助金(年十万ポンド)をえて、英国のキュナード汽船(政府補助金八万一千ポンド)に挑戦した。まず英の二千トン級にたいする米の三千トン級。猛烈な速力競争――例のように賭が流行する。賃銀競争――キュナードの独占時代トン当り七ポンド十シリングだったのが、その半分になる。五年後(一八五五)英国側は同じく両輪《パドル》船ではあるがしかし鉄造の三千三百トンという巨船を送り出す。米国側も負けてはいず、政府補助金額を年十七万九千ポンドに増加する。
それは大西洋の「内海」化を物語っている。コリンス会社は二隻の優秀船を失う災厄を見たが、ぜがひでも勝たなければならない。算盤《そろばん》を度外に置き全米の知能と技術を傾けて、未聞の新鋭汽船アドリァチックが進水した。一八五八年のことだ。英国側は濠洲航路のために造られた超巨船一万八千九百十四トンの「グレート・イースターン」を大西洋に動員した。むろん欠損だ。ところで、米国側は、欠損どころか破産してしまった!
前へ
次へ
全32ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
服部 之総 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング