八二四年には、一定日数内に英印間を乗切った汽船にたいする八千ポンドの賞金がインドで発表された。そのため四百七十トン百二十馬力の汽船がデットフォードで造られ、翌二五年八月十六日にファルマウスを解纜《かいらん》、百十三日目にカルカッタに着いた。だが、賞金が出るくらいだから、大洋航路が汽船会社の算盤《そろばん》に合うのはまだまだのことだった。さてこそ、これと前後して、インド政府に身売のつもりで英国から押渡った汽船ファルコン号は、あわれ生新しい汽罐《きかん》も両輪もはぎとられて、ただの帆船としてやっと買手がついたという。
 大洋航路の汽船会社は、ようやく三十年代の終頃になって設立された。
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東洋航路 The Peninsular & Oriental Steam Navigation Company(P & O), 1837
大西洋航路 The Cunard Company, 1838
太平洋航路 The Pacific Steam Navigation Company, 1840
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 だがこれで七つの海にことごとく汽船が通じたと考えてはならない。
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