をまぶしそうに仰いだ。
「松どんは、よく眠っていたらしいんですが、あたしは、常どんに足をけっ飛ばされて、眼が覚めました。痛えなアといいますと、暗くって見えないんだから、勘弁しなと云って、自分の床へ這入ったようでございました」
「そうか。それじゃア夜半に、外へ出たことは間違えねえな? どうだ。今朝常吉に、何か変わった様子はなかったか」
「あ、そうだ」
 松三郎が、急に声を大きくした。
「さい角《かく》や干《ほ》し肝《ぎも》を削《けず》る、薄刃《うすば》の小刀を、磨《と》いでくれと頼まれましてあたしが磨ぎました」
「なに、刃物?……」
 留五郎の顔には、急に晴晴した微笑が浮かんだ。
「お春さん。お前の推量《すいりょう》は、当たってるぜ。直ぐに常吉を呼んで来ねえ」

     外《はず》された閂《かんぬき》

「常吉。おめえいま、裏の方へ行ってたそうだな。いよいよ、逃げ出すつもりだったに違えなかろうが、そうは問屋でおろさねえぜ」
「いえ。なんで左様なことを、いたしましょう。それは……」
 留五郎の前へすわらされた常吉は、お春、小僧達の云ったことを聞かされて、悄然と頭を垂れたが、追い打ちを掛けるように、留五郎に云われた言葉には、決然として顔を挙げた。
「今朝、お嬢さんのことを知りましてから、何か手掛かりはないかと探して居りましたら、裏の木戸のかんぬきの外れているのに、気がついたのでございます」
「えッ、かんぬきが?……」
 源兵衛が横合《よこあい》から叫んだ。留五郎は、その様子を冷ややかに見たが、急に眼を光らせたのは伝七だった。
「では旦那。そいつは、いつもかかっていたんですね」
「左様でございます。暮れ六つになりますと、必ずかけることになって居りまして、昨夕方も、わたくしが見回りまして、確かに見届けているのでございます」
「じゃア兄貴は?……」
 不服そうに留五郎は、伝七を見た。
「外から這入って来た奴が、あると云いなさるのか」
「さあてな。あるとは云わねえ。だが、無いとも云えねえ。それを調べてみなくちゃ、ならねえと思うだけよ」
「はははは。この野郎が、おのれにかかった疑いを、ごま化すためにそんなことを云い出したんだ。やい常吉」
 留五郎の声に、常吉はビクリと肩をふるわした。
「てめえは、お由利さんに、想《おも》いを寄せてたんだろう。平太郎に取られるのが、たまらなくなったんで、飛んでもねえ真似を、しやがったに違いねえ。その心底《しんてい》が判ってればこそ、てめえを養子に迎えるはずのお春さんが、てめえの味方になっちゃアくれねえんだ。どうだ、申し開きがあるか」
「………」
「お春さん。そうだろう?」
「わたしは、常吉が殺したとは申しませんが、姉さんと常吉とを較《くら》べますと、姉さんの味方をしたいと、思いますので……」
「よし、常吉。どうだ?」
「わ、わたくしは、子供の時分、御奉公に参りましてから、上のお嬢さんには、いつも優《やさ》しくして頂きました。母親のないわたくしはもったいないことながら、母とも姉とも、お慕《した》いしてきましただけに、お嬢様を殺すなどと、そんな大それたことが、出来るわけはございません。……刃物はきょう、犀角散《さいかくさん》を、削《けず》ることになって居りましたので、磨《と》がしましたばかり。決して、血を落としたんじゃございません」
「それじゃてめえは、お春さんに見られた時ア、離れからの帰りじゃなかったのか」
「………」
「厠《かわや》にゃお春さんが這入っていたんだ。てめえは用もねえのに廊下を歩いていたんじゃあるめえ」
「………」
「よし。もうきくことアねえ。これから、お奉行所へしょっ引いて行って、砂をかましてやるから覚悟しろ。お奉行様は、泣く子も黙る遠山|左衛門尉《さえもんのじょう》様だ。ひとたまりもあるもんじゃねえ。――おお旦那、野郎の部屋にある刃物を、持って来ておくんなせえ」
 そう云うと留五郎は、いきなり常吉にナワをうった。
「へ、へい……」
 源兵衛が、よろめきながら出て行くのを見て、留五郎は体を揺すって笑った。
「伝七兄貴。どうやら片付いたようだ。さア一しょに引き揚げよう」
「いや、折角《せっかく》だが、おいらは残ろう。おめえは気の済むまで、そいつを調べるがいい」
「じゃ何か。お前さんはまだ、外から入った奴の仕業《しわざ》だと、にらんでるんだな」
「そりア判らねえ。だが北町の。おいらアどうもまだ、調べ残しがあるように思われるんだ。おいらは、得心《とくしん》のいくまで調べねえと、飯がうまくねえ性分《しょうぶん》だ。ちっとも遠慮することアねえから、おめえは、先へ引き揚げてくんねえ。なアに、夕方までにゃ帰って、おめえンとこの、仏様に聞いてもらうよ」

     色もみじ

 常吉の縄尻《なわじり》をとって、
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