思って居りましたが、何気なく裏木戸を押してみますと、わけもなく開きましたので……」
「すると、閂《かんぬき》が外れていたというんだな」
「左様でございます。それから庭伝いに、縁側まで行って、そっと雨戸を開けまして、枕元の方へ行きますと、有明行灯《ありあけあんどん》の灯で、ぼんやりと見えましたのは、両のこぶしを握りしめている、裸のお由利さんの死骸でございました」
「うむ」
「あッと云ったっきり、わたしは、何も見えなくなってしまいましたが、間もなく気がつきましたのは、こうして居れば、自分に人殺しの疑いがかかる、ということでございました。もう恐ろしさに、誰を起こす考えも出ませず、あわてて、逃げて帰ったのでございます」
「そうじゃあるめえ。おめえは、お春にそそのかされて、太え料簡《りょうけん》を起こしたんだろう?」
「決して、そんなことはございません。わたしは、お春のような勝ち気な女は、大嫌いでございます」
今まで堪《た》えに堪《た》えていたのであろう。平太郎の眼からは、急に涙が頬を伝わった。
「よし、これからおめえの、親父に逢おう。おい竹。ここの旦那に、おいらア一巡りしてくるからとそう云って来ねえ」
いきなり立ち上がった伝七は、平太郎の手首を掴んだ。白く丸味を帯びた平太郎の腕は、女のように優しかった。
赤トンボ
「親分、そう急がなくっても、いいじゃござんせんか」
「馬鹿野郎。御用中は忙しい体なんだ。てめえにつき合っちゃアいられねえんだ」
「でも、平太郎は、ホシじゃアねえんでげしょう」
「だから、なおさらじゃねえか」
「お由利さんの部屋へ、忍んで行った奴を、挙げねえんなら、まアぼつぼつやるより他にゃ、仕方がござんすまい。どっかそこいらで、一と休みしようじゃござんせんか」
「竹。おめえ休みたけりゃア、いつまででも、そこいらで寝てきていいぜ」
「冗談云っちゃアいけません。親分、ま、待っておくんなせえ」
梅窓院通りから、百人町へ足を速めて行く伝七は、獅子っ鼻の竹を、いい加減にあしらいながら、何か思案《しあん》に耽っている様子だった。
「竹、おめえに、働いて貰う時が来たぜ」
「えッ、あっしに?……有難え」
「ほかじゃねえが、これから赤坂御門外へ行って、溜池《ためいけ》の麦飯《むぎめし》茶屋を、洗ってくんねえ」
「あすこの茶屋なら、六軒ありやしてね。女の数が三十人
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