《ひ》いたんだが、そりゃおめえ、ここでおれが話《はなし》をしてるようなもんじゃァねえ、芝居中《しばいじゅう》がひっくり返《かえ》るような大騒《おおさわ》ぎだ。――そのうちに頭取《とうどり》が駆《か》け着《つ》ける、弟子達《でしたち》が集《あつ》まるで、倒《たお》れた太夫《たゆう》を、鷺娘《さぎむすめ》の衣装《いしょう》のまま楽屋《がくや》へかつぎ込《こ》んじまったが、まだおめえ、宗庵先生《そうあんせんせい》のお許《ゆる》しが出《で》ねえから、太夫《たゆう》は楽屋《がくや》に寝《ね》かしたまま、家《うち》へも帰《けえ》れねえんだ」
「よし、お花《はな》、おいらに羽織《はおり》を出《だ》してくんねえ」
伝吉《でんきち》は突然《とつぜん》こういって立上《たちあが》った。
二
「お前《まえ》さん、どこへ行《ゆ》くんだよ。真《ま》ッ昼間《ぴるま》ッからお見世《みせ》を空《あ》けて出《で》て行《い》ったんじゃ、お客様《きゃくさま》に申訳《もうしわけ》がないじゃないか。太夫《たゆう》さんとこへお見舞《みまい》に行《ゆ》くなら、日《ひ》が暮《く》れてからにしとくれよ。――ようッてば」
下剃《したぞり》一人《ひとり》をおいて出《で》られたのでは、家業《かぎょう》に障《さわ》ると思《おも》ったのであろう。一|張羅《ちょうら》の羽織《はおり》を、渋々《しぶしぶ》箪笥《たんす》から出《だ》して来《き》たお花《はな》は、亭主《ていしゅ》の伝吉《でんきち》の袖《そで》をおさえて、無理《むり》にも引止《ひきと》めようと顔《かお》を窺《のぞ》き込《こ》んだ。
が、伝吉《でんきち》は、いきなり吐《は》きだすようにけんのみ[#「けんのみ」に傍点]を食《く》わせた。
「馬鹿野郎《ばかやろう》。何《なに》をいってやがるんだ。亭主《ていしゅ》のすることに、女《おんな》なんぞが口《くち》を出《だ》すこたァねえから黙《だま》って引《ひ》ッ込《こ》んでろ。外《ほか》のことならともかく、太夫《たゆう》が急病《きゅうびょう》だッてのを、そのままにしといたんじゃ、世間《せけん》の奴等《やつら》になんていわれると思《おも》うんだ。仮名床《かなどこ》の伝吉《でんきち》の奴《やつ》ァ、ふだん浜村屋《はまむらや》が好《す》きだの蜂《はち》の頭《あたま》だのと、口幅《くちはば》ッてえことをいってやがるくせに、なんてざまなんだ。手間《てま》が惜《お》しさに見舞《みまい》にも行《ゆ》かねえしみッたれ野郎《やろう》だ、とそれこそ口《くち》をそろえて悪《わる》くいわれるなァ、加賀様《かがさま》の門《もん》よりもよく判《わか》ってるぜ。――つまらねえ理屈《りくつ》ァいわねえで、速《はや》く羽織《はおり》を着《き》せねえかい。こうなったり一|刻《こく》だって、待《ま》てしばしはねえんだ」
お花《はな》の手《て》から羽織《はおり》を引《ひ》ッたくった伝吉《でんきち》は、背筋《せすじ》が二|寸《すん》も曲《ま》がったなりに引《ひ》ッかけると、もう一|度《ど》お花《はな》の手《て》を振《ふ》りもぎって、喧嘩犬《けんかいぬ》のように、夢中《むちゅう》で見世《みせ》を飛《と》び出《だ》した。
「待《ま》ちねえ、伝《でん》さん」
長兵衛《ちょうべえ》は背後《うしろ》から声《こえ》をかけた。
「何《な》んの用《よう》だ」
「用《よう》じゃァねえが、おかみさんもああいうンだから、晩《ばん》にしたらどうだ。どうせいま行《い》ったって、会《あ》えるもんでもねえンだから。――」
「ふん、おめえまで、余計《よけい》なことはおいてくんねえ。おいらの足《あし》でおいらが歩《ある》いてくんだ。どこへ行《い》こうが勝手《かって》じゃねえか」
「ほう、大《おお》まかに出《で》やァがったな。話《はなし》をしたなァおれなんだぜ。行《ゆ》くんなら、せめておれの髯《ひげ》だけでもあたッてッてくんねえ」
「髯《ひげ》は帰《けえ》って来《き》てからだ」
「帰《かえ》って来《き》てからじゃ、間《ま》に合《あ》わねえよ」
「間《ま》に合《あ》わなかったら、どこいでも行《い》って、やってもらって来《く》るがいいやな。――ええもう面倒臭《めんどうくせ》え、四の五のいってるうちに、日《ひ》が暮《く》れちまわァ」
前つぼの固《かた》い草履《ぞうり》の先《さき》で砂《すな》を蹴《け》って、一|目散《もくさん》に駆《か》け出《だ》した伝吉《でんきち》は、提灯屋《ちょうちんや》の角《かど》まで来《く》ると、ふと立停《たちどま》って小首《こくび》を傾《かし》げた。
「待《ま》てよ。こいつァ市村座《いちむらざ》へ行《ゆ》くより先《さき》に、もっと大事《だいじ》なところがあるぜ。――そうだ。まだおせんちゃんが知《し》らねえかもしれねえ。こんな時《とき》に人情《にんじょう》を見《み》せてやるのが、江戸《えど》ッ子《こ》の腹《はら》の見《み》せどこだ。よし、ひとつ駕籠《かご》をはずんで、谷中《やなか》まで突《つ》ッ走《ぱし》ってやろう」
大《おお》きく頷《うなず》いた伝吉《でんきち》は、折《おり》から通《とお》り合《あわ》せた辻駕籠《つじかご》を呼《よ》び止《と》めて、笠森稲荷《かさもりいなり》の境内《けいだい》までだと、酒手《さかて》をはずんで乗《の》り込《こ》んだ。
「急《いそ》いでくんねえよ」
「ようがす」
「急病人《きゅうびょうにん》の知《し》らせに行《ゆ》くんだからの」
「合点《がってん》だ」
返事《へんじ》は如何《いか》にも調子《ちょうし》がよかったが、肝腎《かんじん》の駕籠《かご》は、一|向《こう》突《つ》ッ走《ぱし》ってはくれなかった。
「ちぇッ。吉原《よしわら》だといやァ、豪勢《ごうせい》飛《と》びゃァがるくせに、谷中《やなか》の病人《びょうにん》の知《し》らせだと聞《き》いて、馬鹿《ばか》にしてやがるんだろう。伝吉《でんきち》ァただの床屋《とこや》じゃねえんだぜ。当時《とうじ》江戸《えど》で名高《なだけ》え笠森《かさもり》おせんの、襟《えり》を剃《あた》るなァおいらより外《ほか》にゃ、広《ひろ》い江戸中《えどじゅう》に二人《ふたり》たねえんだ」
伝吉《でんきち》が駕籠《かご》の中《なか》で鼻《はな》の頭《あたま》を引《ひ》ッこすってのひとり啖呵《たんか》も、駕籠屋《かごや》には少《すこ》しの効《き》き目《め》もないらしく、駕籠《かご》の歩《あゆ》みは、依然《いぜん》として緩《ゆる》やかだった。
三
床屋《とこや》の伝吉《でんきち》が、笠森《かさもり》の境内《けいだい》へ着《つ》いたその時分《じぶん》、春信《はるのぶ》の住居《すまい》で、菊之丞《きくのじょう》の急病《きゅうびょう》を聞《き》いたおせんは無我夢中《むがむちゅう》でおのが家《いえ》の敷居《しきい》を跨《また》いでいた。
「お母《っか》さん」
「おやおまえ、どうしたというの、何《なに》かお見世《みせ》にあったのかい」
今《いま》ごろ帰《かえ》って来《こ》ようとは、夢《ゆめ》にも考《かんが》えていなかったお岸《きし》は、慌《あわただ》しく駆《か》け込《こ》んで来《き》たおせんの姿《すがた》を見《み》ると、まず、怪我《けが》でもしたのではないかと、穴《あな》のあく程《ほど》じッと見詰《みつ》めながら、静《しず》かに肩《かた》へ手《て》をかけたが、いつもと様子《ようす》の違《ちが》ったおせんは、母《はは》の手《て》を振《ふ》り払《はら》うようにして、そのまま畳《たたみ》ざわりも荒《あら》く、おのが居間《いま》へ駆《か》け込《こ》んで行《い》った。
「どうおしだよ、おせん」
「お母《っか》さん、あたしゃ、どうしよう」
「まァおまえ。……」
「吉《きち》ちゃんが、――あの菊之丞《きくのじょう》さんが、急病《きゅうびょう》との事《こと》でござんす」
「なんとえ。太夫《たゆう》さんが急病《きゅうびょう》とえ。――」
「あい。――あたしゃもう、生《い》きてる空《そら》がござんせぬ」
「何《なに》をおいいだえ。そんな気《き》の弱《よわ》いことでどうするものか。人《ひと》の口《くち》は、どうにでもいえるもの。急病《きゅうびょう》といったところが、どこまで本当《ほんとう》のことかわかったものではあるまいし。……」
「いえいえ、嘘《うそ》でも夢《ゆめ》でもござんせぬ。あたしゃたしかに、この耳《みみ》で聞《き》いて来《き》ました。これから直《す》ぐに市村座《いちむらざ》の楽屋《がくや》へお見舞《みまい》に行《い》って来《き》とうござんす。お母《っか》さん、そのお七の衣装《いしょう》を脱《ぬ》がせておくんなさいまし」
「えッ、これをおまえ」
「吉《きち》ちゃんが、去年《きょねん》の芝居《しばい》が済《す》んだ時《とき》、黙《だま》って届《とど》けておくんなすったお七の衣装《いしょう》、あたしに着《き》ろとの謎《なぞ》でござんしょう」
「それでもこれは。――」
「お母《っか》さん」
おせんは、部屋《へや》の隅《すみ》に立《た》てかけてある人形《にんぎょう》の傍《そば》へ、自分《じぶん》から歩《あゆ》み寄《よ》ると、いきなり帯《おび》に手《て》をかけて、まるで芝居《しばい》の衣装着《いしょうつ》けがするように、如何《いか》にも無造作《むぞうさ》に衣装《いしょう》を脱《ぬ》がせ始《はじ》めた。
「お止《よ》し」
「いいえ、もう何《な》んにもいわないでおくんなさい。あたしゃお七とおんなじ心《こころ》で、太夫《たゆう》に会《あ》いに行《ゆ》きとうござんす」
ばらりと解《と》いたお七の帯《おび》には、夜毎《よごと》に焚《た》きこめた伽羅《きゃら》の香《かお》りが悲《かな》しく籠《こも》って、静《しず》かに部屋《へや》の中《なか》を流《なが》れそめた。
「ああ。――」
おせんはその帯《おび》を、ずッと胸《むね》に抱《だ》きしめた。
「おせんや」
お岸《きし》は優《やさ》し眼《め》をふせた。
「あい」
「おまえ、一人《ひとり》で行《い》く気《き》かえ」
「あい」
衣装《いしょう》を脱《ぬ》がせて、襦袢《じゅばん》を脱《ぬ》がせて、屏風《びょうぶ》のかげへ這入《はい》ったおせんは、素速《すばや》くおのが着物《きもの》と着換《きか》えた。と、この時《とき》格子戸《こうしど》の外《そと》から降《ふ》って湧《わ》いたように、男《おとこ》の声《こえ》が大《おお》きく聞《きこ》えた。
「おせんさん、仮名床《かなどこ》の伝吉《でんきち》でござんす。浜村屋《はまむらや》の太夫《たゆう》さんが、急病《きゅうびょう》と聞《き》いて、何《なに》より先《さき》にお知《し》らせしてえと、駕籠《かご》を飛《と》ばしてやってめえりやした。笠森様《かさもりさま》においでがねえんでこっちへ廻《まわ》って来《き》やした始末《しまつ》。ちっとも速《はや》く、葺屋町《ふきやちょう》へ行《い》っとくンなせえやし」
「親方《おやかた》、その駕籠《かご》を、待《ま》たせといておくんなさい」
「合点《がってん》でげす」
おせんの声《こえ》は、いつになく甲高《かんだか》かった。
四
人目《ひとめ》を避《さ》けるために、わざと蓙巻《ござまき》を深《ふか》く垂《た》れた医者駕籠《いしゃかご》に乗《の》せて、男衆《おとこしゅう》と弟子《でし》の二人《ふたり》だけが付添《つきそ》ったまま、菊之丞《きくのじょう》の不随《ふずい》の体《からだ》は、その日《ひ》の午近《ひるちか》くに、石町《こくちょう》の住居《すまい》に運《はこ》ばれて行《い》った。
が、たださえ人気《にんき》の頂点《ちょうてん》にある菊之丞《きくのじょう》が、舞台《ぶたい》で倒《たお》れたとの噂《うわさ》は、忽《たちま》ち人《ひと》から人《ひと》へ伝《つた》えられて、今《いま》は江戸《えど》の隅々《すみずみ》まで、知《し》らぬはこけ[#「こけ」に傍点]の骨頂《こっちょう》とさえいわれるまでになっていた。他目《はため》からは、どう見《み》ても医
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