様《いなりさま》への参詣《さんけい》は二の次《つ》ぎに、連《つ》れの隠居《いんきょ》の台詞通《せりふどお》り、土《つち》へつかない足《あし》を浮《う》かせて、飛《と》び込《こ》んで来《き》たおせんの見世先《みせさき》。どかりと腰《こし》をおろした縁台《えんだい》に、小腰《こごし》をかがめて近寄《ちかよ》ったのは、肝腎《かんじん》のおせんではなくて、雇女《やといめ》のおきぬだった。
「いらっしゃいまし。お早《はや》くからようこそ御参詣《おさんけい》で。――」
「茶《ちゃ》をひとつもらいましょう」
「はい、唯今《ただいま》」
 三四|人《にん》の先客《せんきゃく》への遠慮《えんりょ》からであろう。おきぬが茶《ちゃ》を汲《く》みに行《い》ってしまうと、徳太郎《とくたろう》はじくりと固唾《かたず》を呑《の》んで声《こえ》をひそめた。
「おかしいの。居《お》りやせんぜ」
「そんなこたァごわすまい。看板《かんばん》のねえ見世《みせ》はあるまいからの」
「だが御隠居《ごいんきょ》。おせんは影《かげ》もかたちも見《み》えやせんよ」
「あわてずに待《ま》ったり。じきに奥《おく》から出《で》て来《き》よう
前へ 次へ
全263ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
邦枝 完二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング