じゃねえ。稼《かせ》えだんだ」
「版下《はんした》か」
「はん[#「はん」に傍点]ははん[#「はん」に傍点]だが、字《じ》が違《ちが》うやつよ。ゆうべお旗本の蟇《がま》本多《ほんだ》の部屋《へや》で、半《はん》を続《つづ》けて三|度《ど》張《は》ったら、いう目《め》が出《で》ての俄《にわか》分限《ぶんげん》での、急《きゅう》に今朝《けさ》から仕事《しごと》をするのがいやンなって、天道様《てんとうさま》がべそをかくまで寝《ね》てえたんだが蝙蝠《こうもり》と一|緒《しょ》に、ぶらりぶらりと出《で》たとこを、浅草《あさくさ》でばったり出遭《であ》ったのが若旦那《わかだんな》。それから先《さき》は、お前《まえ》さんに見《み》られた通《とお》りのあの始末《しまつ》だ。――」
「そいつァ夢《ゆめ》に牡丹餅《ぼたもち》だの。十|文《もん》と踏《ふ》んだ手《て》の内《うち》が、三|両《りょう》だとなりゃァ一|朱《しゅ》はあんまり安過《やすす》ぎた。三|両《りょう》のうちから一|朱《しゅ》じゃァ、髪《かみ》の毛《け》一|本《ぽん》、抜《ぬ》くほどの痛《いた》さもあるまいて」
「こいつァ今夜《こんや》のもとでだからの」
「そんなら止《よ》しなっ聞《きか》しちゃやらねえ」
「聞《き》かせねえ」
「だすか」
「仕方《しかた》がねえ、出《だ》しやしょう」
 すると春重《はるしげ》は、きょろりと辺《あたり》を見廻《みまわ》してから、俄《にわか》に首《くび》だけ前《まえ》へ突出《つきだ》した。
「耳《みみ》をかしな」
「こうか」
「――」
「ふふ、ほんとうかい。重《しげ》さん。――」
「嘘《うそ》はお釈迦《しゃか》の御法度《ごはっと》だ」
 痩《やせ》た松《まつ》五|郎《ろう》の眼《め》が再《ふたた》び春重《はるしげ》の顔《かお》に戻《もど》った時《とき》、春重《はるしげ》はおもむろに、ふところから何物《なにもの》かを取出《とりだ》して松《まつ》五|郎《ろう》の鼻《はな》の先《さき》にひけらかした。

    七

 足《あし》もとに、尾花《おばな》の影《かげ》は淡《あわ》かった。
「なんだい」
「なんだかよく見《み》さっし」
 八の字《じ》を深《ふか》くしながら、寄《よ》せた松《まつ》五|郎《ろう》の眼先《めさき》を、ちらとかすめたのは、鶯《うぐいす》の糞《ふん》をいれて使《つか》うという、近
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