ら犬《いぬ》にも劣《おと》りやさァ」
「だってお前《まえ》、肝腎《かんじん》の弁天様《べんてんさま》は、かたちどころか、影《かげ》も見《み》せやしないじゃないか」
「御辛抱《ごしんぼう》、御辛抱《ごしんぼう》、急《せ》いちゃァ事《こと》を仕損《しそん》じやす」
「ここへ来《き》てから、もう半時近《はんときちか》くも経《た》ってるんだよ。それだのにお前《まえ》。――」
「でげすから、あっしは浅草《おくやま》を出《で》る時《とき》に、そう申《もう》したじゃござんせんか。松《まつ》の位《くらい》の太夫《たゆう》でも、花魁《おいらん》ならば売《う》り物《もの》買《か》い物《もの》。耳《みみ》のほくろはいうに及《およ》ばず、足《あし》の裏《うら》の筋数《すじかず》まで、読《よ》みたい時《とき》に読《よ》めやすが、きょうのはそうはめえりやせん。半時《はんとき》はおろか、事《こと》によったら一時《いっとき》でも二時《ふたとき》でも、垣根《かきね》のうしろにしゃがんだまま、お待《ま》ちンならなきゃいけませんと、念《ねん》をお押《お》し申《もう》した時《とき》に、若旦那《わかだんな》、あなたは何《な》んと仰《おっ》しゃいました。当時《とうじ》、江戸《えど》の三|人女《にんおんな》の随《ずい》一と名《な》を取《と》った、おせんの肌《はだ》が見《み》られるなら、蚊《か》に食《く》われようが、虫《むし》に刺《さ》されようが、少《すこ》しも厭《いと》うことじゃァない、好《す》きな煙草《たばこ》も慎《つつし》むし、声《こえ》も滅多《めった》に出《だ》すまいから、何《な》んでもかんでもこれから直《す》ぐに連《つ》れて行《い》け。その換《かわ》りお礼《れい》は二|分《ぶ》まではずもうし、羽織《はおり》もお前《まえ》に進呈《しんてい》すると、これこの通《とお》りお羽織《はおり》まで下《くだ》すったんじゃござんせんか。それだのに、まだほんの、半時《はんとき》経《た》つか経《た》たないうちから、そんな我儘《わがまま》をおいいなさるんじゃ、お約束《やくそく》が違《ちが》いやす。頂戴物《ちょうだいもの》は、みんなお返《かえ》しいたしやすから、どうか松《まつ》五|郎《ろう》に、お暇《ひま》をおくんなさいやして。……」
「おっとお待《ま》ち。あたしゃ何《なに》も、辛抱《しんぼう》しないたいやァしないよ。ええ、辛
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