たり》の世界《せかい》。どうぞ辛抱《しんぼう》して、話相手《はなしあいて》になっておくんなさいまし、――あたしゃ、王子《おうじ》で育《そだ》った十|年前《ねんまえ》も、お見世《みせ》へ通《かよ》うきょうこの頃《ごろ》も、心《こころ》に毛筋程《けすじほど》の変《かわ》りはござんせぬ。吉《きち》ちゃんと、おせんちゃんとは夫婦《ふうふ》だと、ままごと遊《あそ》びにからかわれた、あの春《はる》の日《ひ》が忘《わす》れられず、枕《まくら》を濡《ぬ》らして泣《な》き明《あ》かした夜《よる》も、一|度《ど》や二|度《ど》ではござんせんし。おせんも年頃《としごろ》、好《す》きなお客《きゃく》の一人《ひとり》くらいはあろうかと、折節《おりふし》のお母《っか》さんの心配《しんぱい》も、あたしの耳《みみ》には上《うわ》の空《そら》。火《ひ》あぶりで死《し》んだお七が羨《うらや》ましいと、あたしゃいつも、思《おもい》い続《つづ》けてまいりました。――太夫《たゆう》、お前《まえ》は、立派《りっぱ》なお上《かみ》さんのその外《ほか》に、二つも寮《りょう》をお持《も》ちの様子《ようす》。引《ひ》くてあまたの、御贔屓筋《ごひいきすじ》もござんしょうが、あたしゃこのままこがれ死《し》んでも、やっぱりお前《まえ》の女房《にょうぼう》でござんす」
 思《おも》わず知《し》らず、我《わ》れとわが袖《そで》を濡《ぬ》らした不覚《ふかく》の涙《なみだ》に、おせんは「はッ」として首《くび》を上《あ》げたが、どうやら勝手許《かってもと》の母《はは》の耳《みみ》へは這入《はい》らなかったものか、まだ抜《ぬ》け切《き》らぬ風邪《かぜ》の咳《せき》が二つ三つ、続《つづ》けざまに聞《き》こえたばかりであった。
 しばしおせんは、俯向《うつむ》いたまま眼《め》を閉《と》じていた。その眼《め》の底《そこ》を、稲妻《いなづま》のように、幼《おさな》い日《ひ》の思《おも》い出《で》が突《つ》ッ走《ぱし》った。
「おせんや」
 母《はは》の声《こえ》が聞《き》かれた。
「あい」
「この暗《くら》いのに、行燈《あんどん》もつけずに」
「あい。さして暗《くら》くはござんせぬ」
「何《なに》をしておいでだか知《し》らないが、支度《したく》が出来《でき》たから御飯《ごはん》にしようわな」
「あい、いまじきに」
「暗《くら》い所《ところ》に
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