思《おも》ってさ」
「おや、それは御親切《ごしんせつ》に、有難《ありがと》うはござんすが、あたしゃいまも申《もう》します通《とお》り、風邪《かぜ》を引《ひ》いたお母《かあ》さんと、お見世《みせ》へおいでのお客様《きゃくさま》がござんすから。――」
「この雨《あめ》だ。いくら何《な》んでも、お客《きゃく》の方《ほう》は、気《き》になるほど行《い》きもしまい。それとも誰《だれ》ぞ、約束《やくそく》でもした人《ひと》がお有《あ》りかの」
「まァ何《な》んでそのようなお人《ひと》が。――」
「そんなら別《べつ》に、一|時《とき》やそこいら遅《おそ》くなったとて、案《あん》ずることもなかろうじゃないか」
「お母《かあ》さんが首《くび》を長《なが》くして、薬《くすり》を待《ま》ってでございます」
「これ、おせんちゃん」
「ああもし。――」
「お手間《てま》を取《と》らせることじゃない。ちと折《おり》いって、相談《そうだん》したい訳《わけ》もある。ついそこまで、ほんのしばらく、つき合《あ》っておくれでないか」
「さァそれが。……」
「おまえ、お袋《ふくろ》さんの、薬《くすり》を買《か》いに行《い》ったとは、そりゃ本当《ほんとう》かの」
「えッ」
「本当《ほんとう》かと訊《き》いてるのさ」
「何《な》んで、あたしが嘘《うそ》なんぞを。――」
「そんならその薬《くすり》の袋《ふくろ》を、ちょいと見《み》せておくれでないか」
「袋《ふくろ》とえ。――」
「持《も》ってはいないとおいいだろう。ふふふ。やっぱりお前《まえ》は、あたしの手前《てまえ》をつくろって、根《ね》もない嘘《うそ》をついたんだの、おおかた好《す》きな男《おとこ》に、会《あ》いに行《い》った帰《かえ》りであろう。それと知《し》ったら、なおさらこのまま帰《かえ》すことじゃないから、観念《かんねん》おし」
「あれ若旦那《わかだんな》。――」
「いいえ、放《はな》すものか、江戸中《えどじゅう》に、女《おんな》の数《かず》は降《ふ》る程《ほど》あっても、思《おも》い詰《つ》めたのはお前《まえ》一人《ひとり》。ここで会《あ》えたな、日頃《ひごろ》お願《ねが》い申《もう》した、不動様《ふどうさま》の御利益《ごりやく》に違《ちが》いない。きょうというきょうはたとえ半時《はんとき》でもつき合《あ》ってもらわないことにゃ。……」
押《お
前へ
次へ
全132ページ中61ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
邦枝 完二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング