んな頓狂《とんきょう》な声《こえ》を出《だ》すんだ。いくら雨《あめ》の中《なか》でも、人様《ひとさま》に聞《き》かれたら事《こと》じゃァないか」
「へいへい」
「お前《まえ》、あとからついといで」
目《め》はしの利《き》いたところが、まず何《なに》よりの身上《しんしょう》なのであろう。若旦那《わかだんな》のお供《とも》といえば、常《つね》に市《いち》どんと朋輩《ほうばい》から指《さ》される慣《なら》わしは、時《とき》にかけ[#「かけ」に傍点]蕎麦《そば》の一|杯《ぱい》くらいには有《あ》りつけるものの、市松《いちまつ》に取《と》っては、寧《むし》ろ見世《みせ》に坐《すわ》って、紙《かみ》の小口《こぐち》をそろえている方《ほう》が、どのくらい楽《らく》だか知《し》れなかった。
が、そんな小僧《こぞう》の苦楽《くらく》なんぞ、背中《せなか》にとまった蝿程《はえほど》にも思《おも》わない徳太郎《とくたろう》の、おせんと聞《き》いた夢中《むちゅう》の歩《あゆ》みは、合羽《かっぱ》の下《した》から覗《のぞ》いている生《なま》ッ白《しろ》い脛《すね》に出《で》た青筋《あおすじ》にさえうかがわれて、道《みち》の良《よ》し悪《わる》しも、横《よこ》ッ降《ぷ》りにふりかかる雨《あめ》のしぶきも、今《いま》は他所《よそ》の出来事《できごと》でもあるように、まったく意中《いちゅう》にないらしかった。
「ちょいと姐《ねえ》さん。いえさ、そこへ行《い》くのは、おせんちゃんじゃないかい」
それと呼《よ》び止《と》めた徳太郎《とくたろう》の声《こえ》は、どうやら勝手《かって》のわるさにふるえていた。
「え」
くるりと振《ふ》り向《む》いたおせんは、頭巾《ずきん》の中《なか》で、眼《め》だけに愛嬌《あいきょう》をもたせながら、ちらりと徳太郎《とくたろう》の顔《かお》を偸《ぬす》み見《み》たが、相手《あいて》がしばしば見世《みせ》へ寄《よ》ってくれる若旦那《わかだんな》だと知《し》ると、あらためて腰《こし》をかがめた。
「おやまァ若旦那《わかだんな》、どちらへおいででござんす」
「つい、そこの不動様《ふどうさま》へ、参詣《さんけい》に行《い》ったのさ。――そうしてお前《まえ》さんは」
「お母《かあ》さんの薬《くすり》を買《か》いに、浜町《はまちょう》までまいりました。」
「浜町《はまちょう》
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