ら使っていた、近所の人のいい老婆が、優しく笑っていた。私はどこよりも、桂子の家で、家庭的なあたたかさをもって迎えられたのだ。私はとっさに情欲よりも、もっと高い愛情にうちのめされた気になった。私の帰るべきところは結局、ここより他にないともう一度、信ぜられた。
 私はオバさんを帰してから、桂子を膝の上に抱いて、雨アラレと色々なことをきいた。
「ぼくがいないんで、本当に淋しかった」
「誰も好きなひとができなかった」
「一度ぐらい浮気をしてみた」
 私には桂子が別れた時より、ずっとポッチャリ肥ってしまったのが、ちょっと、気になった。私がこんなに痩《や》せるほど、桂子を思っていたのに、桂子は、その半分も私を思ってくれなかったのであろうか。しかし桂子の次のような甘い言葉の数々が、充分、私のそうした疑念を打消したのだった。
 桂子はハリキッた肉体を身もだえさせ、こんなに言った。
「さびしかったわ。時々、夜中に靴の音が聞えると、ひょっとあなたが帰ってきて下さったかと思って目が覚めるのよ」
「勿論、誰も好きなひとなんかできるはずがないじゃないの」
「浮気」彼女は柳眉《りゅうび》を逆立てていう。「笑談《じょうだん》じゃないわ。あんなところに、お勤めしていても、あたしだけは真面目で通したのよ。だから、日に四百円ぐらいしか、平均の収入なかったのよ」
 その前、彼女が私に逢いたく、姉の許《もと》に来た時には、日に二百円の収入しかないとこぼしていたと私は聞いていた。けれど、それも彼女のみえっぱりの罪のない嘘だろうと、私はなにもいわなかった。金がなくなって前に関係していた異国人から貰った時計のエルジンを千五百円で売ったとも、いま七、八百円の金しかないともいった。私は彼女と別れる時、置いていった金から推量して、まだ一月ほどしか経たぬのに、それも嘘に違いないと思った。
 けれど私はなにもいわずに、その夜は自分の本を売って金を作り、ふたりで酒をのみ、肉鍋をつついて、楽しく遊んだ。一月もむなしかった私の欲情も、その夜から執拗《しつよう》なものになった。さすがの桂子も痛がって、それを厭《いや》がるほどだった。いつになく、局部を痛がる桂子にお人好しの私はなんの疑念も持たなかった。ただ依然として、彼女は無知で純情で、可憐《かれん》そのもののように、私には感じられた。
 はじめの約束では、私は、月に時々そうして桂子に逢う積りだった。その度に、金を持ってこようと思っていた。すると桂子は、「そんなに来るたんびにお金なんかいらないわよう」といった。彼女も、勤めを継続しながら、私に時々、逢う積りでいたのだ。
 翌日、私は集金の予定のある出版社に出かけていった。そこで都合が悪く、先づけ小切手を渡されると、私はそれを近くの、いつも迷惑ばかりかけている、ある出版社の社長に現金にかえて貰いにいった。そして酒を御馳走になってしまうと、桂子と約束の時間に帰れなくなった。その夜、彼女は勤めを休むとはいっていたが、私の帰りが遅いのに腹を立て、きっと勤め先に出かけたに違いない。
 それで私は、ひとり多分、社長から貰ったに違いない一升瓶を抱え、本郷から自動車をとばし銀座に出た。彼女の勤め先は、西銀座の「うらら」という店である。
 運転手に探して貰うとすぐ分った。これもやはり第三国人の経営だという、ビルの二階の大きな酒場だった。下にボーイが二、三人、白い制服で頑張っていて、怪しげな客は通さないようにしている。私は、本名で出ているという桂子の名前をいうと「ケイコさん」と呼ぶ、けたたましい指名で二階に通される。これが桂子のいう上品な酒場か。
 青い照明の下で、鳴りひびくバンド。踊っている客と女給たち。ここに上ったら最後、最低三千円は取られるのを覚悟しなければならない。ところが桂子の話だと、どんな客でも鞄《かばん》の中に五万から十万の金を持っており、少なくても一万円の金は使ってゆくという。お客の種類は土建か貿易関係の連中の接待が多いという。酔っ払って女給の腰に抱きつきながら、尻ふりダンスをしている老人客、ジッと抱き合ったまま動かない、怪しげなシミダンス。私はそれで、「上品な酒場」の正体が分った気がする。
 私がいわゆる、桂子の旦那だと分ると、私は店の奥の、外人客が通されるという、特別な囲いに案内され、四、五人の女給たちが私をとり囲んだ。桂子にはとにかく、まじめになりたいという気持が感じられるが、その四、五人の女たちは、全く典型的な娼婦《しょうふ》のように私には思われた。ただ金と男と、うまいものと、酒が欲しいという顔であり、話である。私は、桂子がこんな女たちのひとりと、客の取り合いをして泣いたという話を思いだし、たちまち、彼女にこうした勤めをさせたくなくなった。
 全てか、然らずんば無か、私のこうした極端な気持が一度、共産党と喧嘩《けんか》すると、今度は淫売婦《いんばいふ》のふところに飛びこませた。私は再び、そのような極端な気持になったのである。私はもう一度、妻子を棄て、桂子を自分の妻にしようと思った。それは勿論、彼女に勤めを止めさせてである。
 桂子と同棲中、私は彼女から逃げようと思い、彼女のため、池袋にマーケットを買ってやったことがある。そのマーケットを月三千円で、桂子は友達のリリーに貸してやっていた。リリーは芸者上りの、桂子よりはいわゆる、美貌だが同じようにヒステリックらしい女である。今の世には、異常な男女が刻々とふえつつあるのだ。そのリリーが、桂子のいないため、最後まで私につきそっていてくれた。
 私は持ってきた一升瓶を飲み、女給たちは店のビールを飲む。そして結局、看板まで私は居残ることになった。酔いと遅くなって面倒なのとで、私はリリーとハイヤーで新宿まで帰ることにした。
 店を出ると、その角に中華料理屋がある。リリーが何か食べたいというので、入って、私のためにはチキンカレー、リリーのためには、焼そばと卵のスープを取った。私は充分に酔っているので、もはや、食欲がない。ぼんやり、リリーの食べかつ飲むのを眺めていると、彼女は瞬く間に、自分の分を平らげてしまい、「私は面倒なのはキライよ」と絶叫しながら、私のカレーまで飲みほすように食べてしまった。まるで餓鬼である。地獄の女たちのひとりだ。私は桂子が、逢いはじめにやはりこのように怖るべき食欲を発揮したのを思いだす。彼女たちは愛情にも、金銭にも、食欲にも、あらゆるものに飢えているのだ。
 銀座から新宿までの車代が一千円。車は外国団体の所有のものらしい高級車で、運転手のサイドワークらしい。
「早く、乗って下さい」とせかし立てる。車の内でリリーも酔ったらしく眼を据え、私のチップの払い方が少ないなぞ文句を言いだす。そして新宿の家についても、桂子に対して、「あなたの旦那を送ってきてやった」と恩を着せ、またチップのことをゴタゴタ言い出し、おまけに池袋のマーケットの家賃が高いなぞと言い始める。酔っている時の桂子は、決してリリーなぞに負けるような弱気ではないが、素面《しらふ》なので温和《おとな》しく、言われる通りに、リリーにチップを出してやったようだ。
 私は遠慮して、女たちふたりを炬燵《こたつ》のある大きな布団に寝せ、ひとりで隅の小さいボロ布団にねたが、淋しくて寒くて仕方がない。大声で桂子を呼びたて、彼女のピチピチした身体をしっかと抱いたまま眠る。桂子の話だと、世の中には、そうして他人が横に寝ていることに刺激を感じ、交合を好む男女がいるそうだが、私はふたりだけの時は、思い切って開放的で恥知らずの交合を好む癖、誰かに見られていると思うと、それだけで、まるで勇気を失ってしまう男なのだ。
 私は帰ってきた蕩児《とうじ》として、前以上に桂子が好きだった。彼女のためなら、自分の文学も、自分の一生も、不憫《ふびん》な子供たちも、いっさい、失ってもよいとまで思いつめていた。しかし、前回と違い、桂子の物欲の強くなっているのにはかなり悩まされた。彼女は再び私と一緒になることを喜んで承知したが、その代り、
「わたし、お店に出て、いろんなことを覚えたわ、愛情は物質と平行するものよ、わたし、着物も欲しいし、うんと贅沢《ぜいたく》させてくれなくてはイヤ、ネ、女の虚栄というものを理解して頂戴」
 ああ、これが私との逢いはじめに、私が、ボロボロのジャンパーに軍靴をはき、「ぼくは身なりをあまりかまわない男ですよ。それに貧乏作家で、あなたに贅沢をさせられないかもしれない」といったのに対し、やさしく、「ええ、あなたの愛情さえあれば、わたし、なんにもいらない」と答えた女なのだろうか。
 一カ月の社交喫茶勤めという悪習が、桂子を急速に堕落させたのだろうか。イヤ、元来彼女はそうした虚栄心の芽のあった女ではある。それが私に対しては慎ましく、「なにを買ってくれ」というのも遠慮していたのが、私には余計、可憐《かれん》に思われたのである。
 けれども、今は、店の同僚の女たちの衣裳がみんな数十万円のものを身につけてると羨《うらや》ましがり、自分にも、そうした装身具を買ってくれとねだるのだ。私は死にたいほど悲しい気持で、彼女を抱いて眠っていたのに。
 その翌日、私は彼女とともに、近くの先輩作家のもとにいった。先輩といっても、五十を過ぎ、平和な落着いた家庭を持っているひとなのだ。そのひとを仮にYさんと呼んでおこう。Yさんは、久し振りの私を歓迎して下さって、お酒の御馳走をしてくれた。
 Yさんの小さい子供たちの無心に遊んでいるさまをみるのが、私には、自分の子供たちが思い出されて、身を切られるように辛い。それで殊更、元気をだし、その子供さんたちに校歌を教え、優しい奥様に、よく知りもしない禅の講釈などをしていた。私は彼女と別れて放浪中、偶然、古本屋で買った、「無門関」を愛誦《あいしょう》していた。その中でも、「百丈|野狐《やこ》」という公案が好きだった。それには、あのボードレールの、(あきらめよ、わが心、けだもの、眠りを眠れ)といった嘆声に共通したものがあるように思われた。いま、ここにその公案の全文を写してみよう。
 百丈和尚、凡《およ》ソ参ズルツイデ一老人アリ、常ニ衆ニシタガッテ法ヲキク。衆人シリゾケバ老人モマタシリゾク。忽《たち》マチ、一日シリゾカズ、師ツイニ問ウ。面前ニ立ツ者ハマタコレ何人ゾ。老人イウ。ソレガシハ非人ナリ、過去、迦葉仏《かしょうぶつ》ノ時ニ於《おい》テ、カツテコノ山ニ住ス。因《ちなみ》ニ学人問ウ。大修行底ノヒト、因果ニ落チルヤ、マタナキヤ。ソレガシ答エテイウ。因果ニ落チズト。五百生、野狐ノ身ニ堕ス。今コウ。和尚、一転語ヲカエテ、ネガワクハ野狐ヲ脱セシメヨト。ツイニ問ウ。大修行底ノヒト、カエッテ因果ニ落チルト、マタナキヤ。
 師イウ。因果ヲクラマサズ。老人、言下ニオイテ大悟シ、作礼シテイウ、ソレガシ已《すで》ニ野狐ノ身ヲ脱ス。山後ニ在住セン。敢エテ和尚ニ告ゲ、乞ウ、亡僧ノ事例ニヨレト。
 師、維那ヲシテ白槌シテ衆ニ告ゲシム。食後ニ亡僧ヲ送ラント。大衆、言議スラク、一衆ミナ安シ。涅槃堂《ねはんどう》、マタ人ノ病ムナシ、何故ニ、コノ如クナルト。食後タダ見ル。師ノ衆ヲ領シ、山後ノ巌下《がんか》ニ至リ、杖ヲモッテ、一死野狐ヲ挑出シ、スナワチ火葬ニヨラシム。師、晩ニ至リテ上堂シ、前ノ因縁ヲ挙《こ》ス。
 黄蘗《おうばく》スナワチ問ウ、古人、アヤマッテ一転語ヲ祇対シテ、五百生、野狐ノ身ニ堕ス。転々、アヤマラザレバ、コノナニヲ作ルベキ。師イウ、近前ニ来レ。カレノ為ニイワン。黄蘗ツイニ近前シ、師ニ一掌ヲアタウ。師、手ヲウッテ笑ッテイウ。マサニ謂エリ、胡鬚《こしゅ》赤シト。更ニ赤鬚ノ胡アリト。
 無門|曰《いわ》ク、不落因果、ナンノ為ニ野狐ニ堕《お》ツ。不昧《ふまい》因果、ナンノ為ニ野狐ヲ脱スル。モシ、者裏ニ向ッテ、一隻眼ヲ著得セバ、スナワチ、前百丈(野狐ノコト)風流五百生ヲカチ得タルヲ知リ得ン。
 頌《じゅ》ニ曰ク、不落不昧、両彩|一賽《いっさい》、不昧不落、千錯万錯。
 私はこの公案に自己流の解釈を下そうとは思
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