桂子とともにズルズル泥沼の底に落ちてゆく光景を知りながら、彼女とともに新宿の家に帰る。
 盗まれた品物を桂子は私に説明しながら、ふっと出てきた貯金帳を、そっと右手にかくす。私はそれを無言で奪いとって調べ、ギョッとする。私が飛び出した日の日付で、彼女は二万五千円の貯金をしている。それから、三回にわたり、五千円|宛《ずつ》の貯金。その貯金の前夜が恐らく、彼女の家に帰らぬ日であろう。私はなにも言わない。急いで貯金帳を取ろうとする桂子にそれを返し、ヒョイと苦笑に似たものが浮ぶ。一張羅《いっちょうら》を質屋に入れた妻。桂子と別れた後の苦しい放浪の日々、短靴を酔って溝に落し、ひとから貰ったボロ軍靴に、一枚の破れYシャツしか残っていない私。それに昨年の税金さえまだ払わず、姉に二、三千円の借金さえしている。
 それに引替え、三万円の貯金と、バラックながら二軒の家持ちの桂子、私は子供の頃、ひとから(おまんこ倉)と綽名《あだな》される、美貌の未亡人の白塗りの倉を持った家が近くにあったのを思いだす。私はそれでも黙って、桂子に次の日の朝、「金瓶梅《きんぺいばい》」を書き引替えで稿料を持ってきてくれた雑誌社の金
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